身についたものしか本当には使えないのではないか〜ユビキタス・キャプチャーを読み返す

僕が最近わりとよく考えていることは、ユビキタス・キャプチャーでなんでもメモしたり、ネットでみつけた情報を[あとで読む]でGmailに集めたりしても、身につかないことには本当には使えないのではないか*1、ということだ。
だから、僕は自分が書いたメモやユビキタス・キャプチャーモレスキンorMUCU POCKETBOOKを繰り返し読み返す。
Gmailも時々スターをつけたものを中心に読み返す。
読み返して繰り返し頭に入れることで身につくようにしている。
だけど、たぶんほとんどは流れていく。
覚えようとすると負担になるので、あまり深く考えず脳へ情報を流し込むイメージで読んでいる。
残るものが残ればいい、という考えだ。

第7回 取ったメモを見返す:確実に身につける!メモ術基本レッスン|gihyo.jp … 技術評論社
ここでもメモを読み返す重要性について書かれている。
僕の場合、目的もなく、空き時間にMUCU POCKETBOOKを読み返す習慣が根付いている。
ここからブログになることは多い。
MUCU POCKETBOOKだと仕事場でも開くことができる。
ユビキタス・キャプチャーは、仕事のことも書いているので行き詰まった時などはパラパラMUCU POCKETBOOKを開いているとアイデアを思いついたりする。
仕事をしていることにもなる。
イデアを出すには、何か刺激になるものがあった方がいいので、そんな時過去の自分が書いたメモは役に立つ。
過去の自分という他人とブレストをやっているようなものか。
そんなかっこいいものでもないと思う。
徒歩通勤時にモレスキンを手持ちにすることも多い。
モレスキンを手に持って歩くのがかっこいいと思っているわけではない。
信号待ちなどで読み返すためだ。

繰り返し読み返し身についた知識などを飲み屋や電車で披露できたらうれしいな。
街角でテレビカメラの横にいる人にリーマンについてコメントを求められた時、とっさに気のきいた答えをしてしまい、あまりに気がきいているため、マスコミの期待には収まらないので実際にはニュースには使われない、という知識のあり方が理想だね。

*1:使えない知識に価値がないわけではなくて、そこは哲学などの価値があるのだが、ここでは使えることを重視している