寂しい地方都市〜シンプルな精神を作るためには

鳥栖大牟田も、夜の駅のホームは寂しいなあ。
博多駅だけは賑やかだった。
特急リレーつばめの車窓から眺める地方都市の寂しさは、単に私の心境を映し出したものにすぎないだろうて。
リレーつばめ内の照明が蛍光灯なのも、かえって寂しさをいや増す。
うさぎなら、死んでしまうところだが、33歳の野郎は寂しくても死なない。


妻が入院している間、Kくんと抱き合うように眠っていたが、さすがに眠りにくかった。
どんなに愛し合った恋人同士でも、抱き合って眠るのは最初の夜の三時間が限界だと常々主張している私は、息子のKくんでも抱き合って眠るのはいささかうんざりしていたところである。
しかし、鹿児島のマンションで一人、ぐっすり眠れるかというとそうはいかないのが、人間という生き物の不必要に複雑な性質である。常々、私は人類は複雑な、余りにも複雑な精神を作ってしまったと主張している。なんだか主張ばかりしているが、今更シンプルな精神を作り直すのは困難を極めるだろうし、個人レベルではせいぜいシンプルな精神を持った得意な個人を見習うしかないではないか。


リレーつばめは揺れるから、ザウルスSL-C1000を両手に持って、親指打ちで以上の文章を作った。
新幹線つばめの方が新しく、車窓もほとんどトンネルなのであまり寂しくならない。「2046」の列車のように近未来っぽいので感傷が入りにくいのだろうか。
早く新八代に着け。