面従腹背

退職してから、自分が所属していた組織の悪口を言うような大人にはなりたくない。
なぜそこにいた時に、抵抗しなかった。
抵抗したが、追い出されたのかもしれない。
なんにせよ、ぬけぬけと「面従腹背」とか言うなや。
Twitterまでやっているが、なんなんだろうね。
天下りできなかった腹いせでやっているのか。
自分が組織にいた時に、色々我慢して来たんだろうね。
それなのに天下りできなかった。
そのルサンチマンが退職して爆発しているようだ。
見苦しい。

閑話休題
前川喜平さんは、萩生田光一さんが文部科学大臣に就任するに際して、教育勅語が不安だ、といった内容をツイートしていた。
ちょっと待った、自分は事務次官の時に、時の下村博文文部科学大臣の意向で、教育勅語にも使えるところがあるという趣旨の国会答弁をしていて、ああそれが面従腹背かと納得した。
ギリギリの戦いだったのかなあ、同情するところもあるけれど、退職して居直って面従腹背とか言うのは下品だと思う。

そんな年末から年始に読んだ『文部省の研究』がおもしろかった。
読んでいると、面従腹背も、三流官庁として内務省の影響を受け続けてきた文部省官僚の戦術なんだとわかる。
戦前の内務省とか、まじ怖いよね。
前川喜平さんの本も読んでみないといけないと思った。
上ではきつい言葉を書いたが、それはその時の率直な言葉なのでそのままにして、まずは『面従腹背』を読むことだな。
でも、嫌いな人の本を読むのって、嫌だ。
正直に。
それでも、他人を批判するためには、嫌いでもその他人の内在的論理を理解しないといかんよね。
そこが乗り越えるべき壁。
めんどくさい。
だったら、他人への批判なんかせずに、好きなものだけに言及して生きるという生き方もある。
さて。

仕事の文書を文章として書くこと〜田中泰延『読みたいように、書けばいい。』

田中泰延さんの『読みたいように、書けばいい。』のブログ記事2回目である。

前回は、脱線して長くなったので、とりあえず切断して投稿した。
ざっと1,800字くらいだ。
今回は、別に前回を読んでいなくても問題ない。

田中さんは、文書と文章の違いについて書かれていた。

  • 問題解決や目的達成のための文章は「文書」
  • 「書きたい人がいて、読みたい人がいる(かもしれない)」のが「文章」

なるほど、わかりやすい定義だ。

私の卒業論文修士論文が、間違っていたのは、上の文書と文章を混同していたことではないか。
私は、自分が書きたいように、卒業論文修士論文を書いてしまったのである。
結果、単位は取得できたので、私は文学修士となった。
文書としての目的は達成できたと言える。
しかし、その後、文学研究者としてのキャリアには接続しなかった。
そのため今はサラリーマンをしている。
もう17年目かな。
まだ、田中泰延さんの24年間には届かない。
だから、まだ辞めない。
ちなみに私の会社は電通ではない。
就職活動時に電通から資料を取り寄せたことはある。
そこには悪評高い「鬼十則」が書かれていた。
それはマッチョなルールだが、自分で選択するにはいいんじゃないかと今でも思っている。
会社から押し付けられるとつらい。
要するに、電通に入らなくてよかった気がする。
自由に鬼十則を使うことができたからだ。

前回と同じだ。
また脱線してしまった。
脱線スタイル。
文書と文章の違いについて、だった。
ふと、思いついたのは、私の論文スタイルは、今となれば正しいのではないか、ということだ。
要するに、サラリーマンとして日々作成する文書について、文章のように書いてみてはどうだろうか。
書きたいように文書を書くのだ。
どのみち、会社には決裁という仕組みがある。
官僚になった三島由紀夫のような文書を書けば、決裁で否定されるだけなのだ。
決裁を通してしまえば文書としての目的は達成される。
でも、実は文章なのだ。
そうやって仕事をおもしろくやればいい。
仕事でも「読みたいように、書けばいい」のだ。
ちょっと調べてみたら三島由紀夫、本名「平岡公威」は東京大学法文学部卒業後、大蔵省に入省して1年もたずに辞めているんだね。
落ちこぼれじゃないか。
文章はすばらしかったが、文書は書けなかったのかもしれない。
しかし、自分は三島由紀夫にさほど興味がない。
そのため、脱線から戻って、仕事における文書を文章として書くことについてもう少し書いてみたい。

実際、今まで17年間のサラリーマン人生で自分が書いてきた文書はほとんど文章だった気がする。
公にする文書はほとんど書いていない。
今は、仕事での文書は圧倒的にメールが多い。
そのメールの文書を自分は好きなように書いてきた。
伝わればそれでいい、そしておもしろみがなければ、みんなメールはスルーするのである。
だから、文書ではなく文章として書かなければつまらない。
そう思っていた気がする。
熱量。
そう、本書の編集者である今野良介さんが田中泰延さんへ送った「異常な熱量のメール」こそが、人を動かすのだと思う。
かくして、自分は本書から、仕事においても文書ではなく、文章を書いて人を動かすことが勝負だ、という学びを勝手に得た。

これは1,200字超え、前回より短めだが、私にしては長い。

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

読書と脱線〜田中泰延『読みたいことを、書けばい』

田中泰延『読みたいことを、書けばいい。』を2020年になって、ようやく読み始めた。

そもそも自分は本書を読みもせずに田中泰延さんのことを知って、おもしろいと思い、インタビュー記事やTwitterなどを眺めて、フォローして、山本一郎さんの酷い記事をきっかけにフォローもしてもらったりしていた。
そして、それじゃあまずい、と思って、2020年になって一念発起して読み始めたというわけだ。

「自分が読みたいことを書けば、自分が楽しい」という原理
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いきなりすべてが書かれてしまった感がある。
ここで読書を止めてもいいかもしれない。
実際、何度か本書を立ち読みした時に、ここまで読んで、これ買わなくてもいいんじゃね?とか思ってしまったのが、読むのが遅くなった理由の一つでもある。
じゃあ、他の理由は?と聞かれても、すぐには思い出せない。

自分は中学時代に、作文がなかなか書けない、ということを延々書き連ねるという作文を書いたことがある。
国語の先生がどう評価したか覚えていないが、書いた自分は楽しかったのは覚えている。
そういうことじゃないか。

本書は文字も大きくて文字数も少ない。
文章は平易で読みやすい。
スイミーのように読み進めていると038ページからQRコードが複数掲載されていた。
田中泰延さんが自己紹介としてウェブで無料で読むことができる記事を紹介しているのだ。
さて、読書の途中だが、どうしよう。
脱線してQRコード先を読みに行くか。
でも、田中さんは自分が書いたものは「とにかく長い」と書いていた。
脱線すると戻れなくなるんじゃないか。
東京に新幹線で行こうとして、脱線して新潟に着いてしまうのではないか。
じゃあ、とりあえず読み飛ばせばいい。
そうすると読了する頃には、最初の方のQRコードなんか忘れてしまう可能性がある。
どうしよう。
とりあえずスマホQRコードを読んでみることにした。
私が使っているのはAndroidスマホGoogle Pixel 3aというものだが、これってQRコードリーダー付いていたっけ?
アプリ一覧には見当たらない。
カメラでどうだろうか?
それらしい機能は見当たらない。
嗚呼、QRコードリーダーアプリを別途インストールしなきゃいけんのかなあ、めんどくさいなあ。
待て、このGoogleレンズというやつでいけないのか?
カメラをその他からレンズに切り替えて、画面にQRコードを入れてみると、おお、ディスプレイ上にリンク先のURLが表示され、それをタップすると記事がブラウザで表示された。
そして、それを読まずに共有メニューから今度はGoogle Keepにクリップしておいた。
自分は、このGoogle Keepというメモアプリを「後で読む」ツールとして使っているのだ。
Google Keepはタスクリストにもなっていて、毎日読み返すのでクリップして忘れる、ということもない。
ちまちまQRコード先の記事をクリップしていくのだが、、、多い。
数えたら17記事もある。
これ、間違って読み始めてしまったら、本書に戻れないこと確実な気がした。
とりあえずクリップすることにして良かった。
それでもGoogle Keepにメモが17個たまることになるので、できる限り早く、たとえば仕事始めの通勤電車内から読み始めないといけない。
私は、仕事術にハマった結果、Google Keepでも「inbox zero」を心がけている。
ゼロがいい、ゼロになろう、もう1回!
さっさと読んでアーカイブするのだ。
ただ、通勤電車内で読むのだから、思わず爆笑することには注意しないといけない。
田中泰延さんのことなので、たとえば「ハーバード流スタンフォード術」のようなことが書かれている可能性がある。
これでは思わずお湯割りを吹いてしまった。
通勤電車内なので、鹿児島県人とはいえさすがに芋焼酎には早い時間帯だが、それでも笑って鼻水を眼の前の女性に飛ばしてしまうリスクがある。
鼻水も体液だ、逮捕されるかもしれない。
ちょっと待て、体液をかけるのって痴漢なのか?
罪状は何だろう?
こういう時に手元にスマホがあるからやばい。
Google先生に聞いてみると、下記のような記事がみつかった↓
news.yahoo.co.jp
なるほど。
色々と難しい論点があるようだ。
サクッと死刑というわけにはいかないらしい。
と、このように読書をする、というのは常に脱線の可能性と向き合いながら進まないといけないのである。
この記事も、田中泰延さんの本から脱線してしまい、1,800字を超えてしまった。
とりあえずこの時点で投稿しようと思う。

なお、上記QRコード先の記事のうち、⑥京都学園大学→京都先端科学大学の記事が消えていましたので、補足。
大学という組織で記事をアーカイブできないのはまずいのではないか。

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術

帰省中は資産状況の確認に最適

できれば年末年始など実家に帰省した時に、両親と親の家計や資産の状況等を率直に話ができたらいいよね。
でも、実際にはなかなか難しい。
お金の話を率直にできる家庭風土を作らないといけない。
その辺りは、できる限りやるとして、自分ちの家計や資産の状況を確認するのに、帰省中の空白時間は最適だと思う。
自分は、Googleスプレッドシートに記録していたりするので、その辺りをスマホで見直すことができる。
円単位で厳密にする必要はないと思う。
ざっくりでいい。
去年よりどれくらい増えているか。
今年は、子どもの学費にどの程度必要か。

辻田真佐憲『文部省の研究』を読む

辻田真佐憲『文部省の研究』を読了した。
文部省の歴史がこんなにおもしろいとは。

面従腹背

前川喜平さんの面従腹背も、三流官庁である文部省の伝統的でギリギリの戦い方なのかもしれない。
面従腹背の人の本も読んでみないといけないと思った。

日教組は嫌いだが

日教組は屑組織だと思っているが、フェアじゃないな。
日教組の研究といった本を読んでみないといけないと思った。
このパターン多い。
おもしろい本を読むと、そこから広がる。
調べることは山ほどある。

江崎玲於奈三浦朱門はひどい

江崎玲於奈さんの発言は、ノーベル賞受賞者でも専門外ではどうしようもない人がいる、という事例として興味深い。
また、三浦朱門さんも酷い。
この2名に代表されるエリート主義は、財務省の「選択と集中」戦略にも影響を与えていると思う。
財務省は、本音では地方国立大学なんか不要だと思っている。
旧帝国大学に予算を集中させればいいと考えている。
表立って主張しないところがいやらしい。
堂々と議論できないのだ。
予算編成の権力を利用して、真綿で首を絞めるように攻めてくる。
日本のトップエリートが、こんないやらしい戦い方しかできないのだから、日本という国家がいかにいやらしいか、わかる。
本当にくだらない。
と書いてきて、この辺りは感情が走りすぎたと思った。
事実に反する記述も多いかもしれないが、あえて残しておこう。
本気で批判するなら、江崎玲於奈さんや三浦朱門さんについても調べないといけない。
その発言は、議事録などがあれば追いかけることができるし、著作を読めば思想を理解できるだろう。
そこまでやって初めて誰かを真に批判できる。
今のままでは、ただ自分のポジションから思い込みで批判しているだけだ。
それはわかっている。
ただ、時間とエネルギーは有限なので、優先順位があるのだ。
自分が好きではない誰かを批判するために、その人について調べるというのはいかにももったいない。
トレードオフ
誰かの批判に乗っかるのが楽ではある。
それじゃあ、駄目だ。
わかってる、よくわかってる、でもできない。

改正教育基本法

「改正教育基本法」について、教育界では評判が悪いが、文面を見てもさほど激越な内容とはいえない、等、著者のバランス感覚を感じる。
だから、読んでいて不快にならないし、フラットな感情でおもしろく読むことができる。
右にも左にも偏っていないように見える。
まあ、若干、左寄りかな?
色々調べれば、著者のポジションも見えてくるだろうが、そうすると本書を読む時にバイアスがかかってしまうので、あえて事前に調べずに読んでみた。
それが良かった。
事実をきちんと押さえてあり、そこから自分で調べたらいい内容になっていた。
著者の価値観の押し付けも感じられず、江崎玲於奈に比べて真っ当だと感じた。
こういうバランス感覚のある人を有識者会議に呼んだ方がいいのではないか。
有識者会議って、いつも思うが、メンバーを選ぶのが一番の肝、そこが不透明なので会議の提言などは常に眉唾になるよね。
とにかく、改正教育基本法を読まないといけない。

理想の日本人像って必要?

本書に出てくる「理想の日本人像」というのが、わからない。
そんな理念が必要なのか、ピンと来ない。
だから、教育に関する議論について、右寄りだろうが左寄りだろうが、何言ってんだとしか思えないのだろう。
個人的な傾向としては共同体主義より普遍主義を支持する自覚がある。
もしかするとTwitterなどでは、ネトウヨ寄りだと思われているかもしれないが。
それは、左翼に対する失望感が大きいからだ。
この「左翼」あるいは「サヨク」という一般化も大きすぎる。
この辺りも丁寧に批判しないと本当はいけない。
しかし、上で書いたように、限界がある。
そのため、イメージでつい語ってしまうことにはなる。
敵について徹底的に調べる情熱は、どこから来るのだろうか?
自分にはよくわからない。
わからなくて、調べるつもりも無ければ、沈黙すべきなのだろうか?
素人意見では駄目なのか?
Twitter脊髄反射するのはよくないのか?
その辺りは、長年考えていること。

西国立志編

本書の内容から前後するが、中村正直西国立志編』も読まないといけないと思った。
福沢諭吉『学問のすゝめ』は読んだことがある。
スマイルズ『自助論』は読んだことある。
セルフヘルプだよね?

明治天皇

明治天皇が直接、教育に口出ししている感覚も、現在の皇室からは想像もつかない。
側近だった元田永孚も調べてみないといけない。
明治天皇と元田は、文部省にあからさまに介入した、というのだから、時代が違う。

教育勅語

いわゆる「教育勅語」は、1890年10月30日に発布された。
いまだに教育勅語が議論になるので、これもまた読む必要がある。
辻田によれば教育勅語に「神国日本や八紘一宇のような夜郎自大な発想」は見られないらしい。
この辺りも一部の保守派の言説を鵜呑みにしてはいけない。
自分で読んで、価値を判断する必要がある。
なんでも一次資料にあたることだ。

とりあえず投稿

2,000字を超えた。
長くなったのでとりあえずこの辺りで投稿する。
本を書いているわけではない。
ベータ版で公開すればいいのだ。
今、Kindleで読了した本書をあらためてスマホKindleにダウンロードして再読している。
再読はハイライトした箇所を中心にして、スターを付けながら読んでいる。
スターで絞り込めば、本書のエッセンスが抽出される。
読みながら、上記で書いたようなことを色々調べていく中で、また書くこともあるだろう。
新年早々、知的好奇心を刺激する良い読書になった。
ここから自分で調べて世界の厚みを増すことが勝負。

ノロウイルス対策は難しい

クリスマスイブに次男が大量に嘔吐した。
ホットカーペットがやられた。
ノロウイルス対策を厳密にやるのは、一般家庭では難しい。
いや、一般化は止めよう、私は無理。
それでも、深夜に喉がかわいたと一人で麦茶を飲んで吐いた時には、見よう見まねでハイターを希釈した消毒用液を作った。
植物用霧吹きを流用。
希釈も目分量。
実際はハイターではなく、ブリーチ。
その液体で床を拭く。
手袋無し。
うーん、自分がやっていることが正しいかどうかわからない。
上で作った消毒用液で、たとえば汚れたホットカーペットに吹きかけて大丈夫?などと考えることは多い。

結果、その後、次男は発熱したが、1日で回復した。
年末の実家帰省も無事に終了。
次男以外の誰も体調不良にはならず。
ノロウイルスではなかったか。
そんな気がする。

とりあえず使い捨ての手袋とペーパータオルを100円ショップ、ダイソー辺りで買っておこうかな。
できることをやる。
それしかない。
ノロウイルスに備えて、地震などの災害にも備えて、備えることは無駄になる可能性が高いから、無尽蔵にコストをかけるわけにもいかないので、バランスを考えながらになる。
あるいは、普段使いすることを考えた防災グッズ、ノロウイルス対策を考えてやればいいか。

帰省に古い手帳を持って行く

実家への帰省にあえて古い手帳を持って行こうと思った。
それを帰省中に読み返すのだ。
帰省している時って、頭が働かない。
勉強するための本などがあっても、さっぱりインプットできない。
それなら、過去の手帳をぼんやり読み返して、思いついたことを書き込む作業がいいんじゃないか。
私は、過去の手帳を読み返すのが好きだ。
そして、過去の手帳メモにどんどんメモを追記するのも楽しい。
今回は、ほぼ日手帳weeks2018を持って行く。

持って行った。
そして、スキマ時間で読み返した。
万年筆カクノEFでの書き込みは多くなかった。
何かインプットできただろうか。
よくわからない。
明確に数値化、見える化できるような成果は無いが、意味はあると思うので、今後も習慣化して続けていきたい。
過去の手帳を読み返して、過去の自分の思考から今、生きて武器になる思考をどんどんインストールしていきたい。