ゴールデンウィークGW10連休最後の日にメンタルを何とか維持するための2つの方法

やっぱり今日は、GW連休しかも10連休*1最後の日の憂鬱をどのようにやり過ごすか、について書くべきだと思った。
そりゃ、そんな記事は腐るほどあるだろうが、腐るほどの記事が一つぐらい増えてもいいではないか。

今、思いついている対策は2点、まあ、書きながら増えるかもしれない

  1. 進撃の巨人』をコミックスで読む
  2. 明日は、朝、自分の体を職場に運ぶこと一点に集中して、それ以外のタスクはEvernoteなどのタスク管理ツールに預けて忘れた振りをする

以上。

以下は蛇足。
進撃の巨人』は、読んでいると気持ちがジャンになる。
いや違った、読むと気持ちがシャンとする。
あの調査兵団のくそったれな状況より、自分の方がマシじゃね?
もっとできることがあるはずだ。
アニメも再開されたが、ここはやはりコミックスで文字を読んだ方がいい。
戦っているみんなの台詞をしっかりインストールするんだ。
そうすれば連休明けも戦える。
リヴァイ、ハンジ、エルヴィンですら、いや104期の連中も、厳しい状況である時ほど、ブラックなユーモアを発揮しておかしいことを言う。
それが『進撃の巨人』の魅力の一つだ。
ドラゴンボール』でも、ヤジロベーの存在などが救いになる。
深刻な状況において、深刻で真面目くさった発言をしていれば問題が解決するなら苦労しない。
蛇足ついでに、脱線するが、中央憲兵との内輪もめ辺りは、読んでいてスカッとしないが、サラリーマンとしては読めば読むほど味わい深い。
何しろ、サラリーマンの戦いのほとんどは実は社内で繰り広げられるからだ!
就職した若い人たちがすぐに失望する要素の一つだろう。
何、同じ組織内で足の引っ張りあいしてんだよ!
そう思いたいのもわかる。
ジャンも「いつの間にか敵が何なのかわかんなくなっちまってる」と頭を抱えている。
ただ、それはもう仕方ないのだろう。
何しろ、それぞれが信じている「正義」が違うのだから。
しかし、リヴァイ兵長は何度も繰り返し、何が正しいのか、わからない、と言っている。
それが「教育」的効果を発揮している。
まあ、令和元年においても、何が正しいのか、わからない。
結果が出てすら、正しかったのか、わからない。
みんな手探りでやっているのだから、連休明けのブルーなんて、まあ、どうでもいいではないか。

自分の体を職場に運ぶ一点に集中するライフハックは、何度も書いている。
それ以外は些事だ。
思いついたことは、タスク管理ツールにメモしておこう。
リヴァイ兵長も女型の巨人と戦う時に「目的を一つに絞るぞ」と言っている。
連休が終わるブルーというのは、サラリーマンにとっては「女型の巨人」ぐらい強敵だ。
だからこそ、連休明けは目的を一つに絞った方がいい。
朝、人身事故の当事者にならずにとにかく職場に自分の体を運んで、始業時間になれば、後は流れでなんとかなる。
機械のように動けるはずだ。
まあ、午前中いっぱいぐらいは能率が悪いのは許そう。
調査兵団の作戦なんて、まったく徒労に終わったり、完全な敗北に終わることばかりではないか。
令和元年の日本で、サラリーマンやっていて、徹底的に敗北することなんて、まずない。
「未だ負けたことしかない」(ハンジ)調査兵団とは違うのだよ。
だから、大丈夫だ。

進撃の巨人(28) (講談社コミックス)

進撃の巨人(28) (講談社コミックス)

進撃の巨人(27) (講談社コミックス)

進撃の巨人(27) (講談社コミックス)

進撃の巨人(26) (講談社コミックス)

進撃の巨人(26) (講談社コミックス)

進撃の巨人(22) (講談社コミックス)

進撃の巨人(22) (講談社コミックス)

進撃の巨人(23) (講談社コミックス)

進撃の巨人(23) (講談社コミックス)

*1:念のため、自分も2日ほどは仕事しているので、、、

社畜上等

一生懸命働いているサラリーマンを「社畜」って馬鹿にする風潮が日本を駄目にしている。
最近、そんなことを思っている。
仕事を馬鹿にして、結果、仕事のおもしろさや楽しみを奪っている。
そんなんで人生の充実感なんて得られるわけないではないか。
自分がやりたい趣味なんて、所詮、趣味でしかない。
与えられた仕事をまず一生懸命にやること。
そこにおもしろみがある。
それすらできなくて、自分のやりたい仕事じゃないとか、不満を言うのは子どもである。

実際、自分の家庭においては、子どもがすべて幼稚園を卒業したとなると、今度は人手より金が重要になってくる。
与えられた仕事があるのなら、たくさん働いて稼ぐのも大事だ。

  • 収入-支出+資産×利率

やはりたくさん仕事をして収入を増やすのが手っ取り早い。
休日に仕事をするのは、自らへの投資のようなものだ。
それは将来においてリターンとして返ってくる。
わからないけれど、点と点が未来において接続すると信じて、点を打つのだ。
そういうことをスティーブ・ジョブズも言っていた。

連休中ではあるが、さすがに出勤はしていないものの、結局、仕事をしている。
Evernoteにクリップした一般的な情報と、手持ちのノートのメモ、インターネット上に公表されている情報があれば、できる仕事はある。
情報の分析。
自らのインテリジェンス機能を高めること。
読書もその方向で、たとえば橘玲さんやアンディ・グローブを読んでいる。
自分でも社畜だと思うが、それを卑下する方向ではなく、積極的な価値として、そうニーチェみたいに価値転換して使ってみたい。
社畜上等。

臆病者のための億万長者入門

臆病者のための億万長者入門

妻がたくさんおかずを作るようになった

最近、妻がたくさんおかずを作るようになった。
それが、タッパーに入っている。
これが色々、すばらしい!

  • まず、タッパーのまま食卓にたくさん並べられる。
  • また、残っても蓋をしてそのまま冷蔵庫に簡単に保存できる。
  • タッパーをそのまま使うので、皿などの洗い物が増えない。
  • さらに翌朝、タッパーのおかずを別のタッパーに詰めれば、簡単に弁当ができる。

良いことずくめではないか。
その感動を素直に妻に伝えた。
自分も簡単なおかずでいいので、タッパーおかずに参戦できればいい。
何かないだろうか?

突然死

最近、突然死を考える。
突然死に備えて身辺整理しておかないといけない。
恥ずかしいブックマークなど削除。
恥ずかしい日記なんか、どうしようか。
一方で、死んだ後のことなんてどうでもいい、という思いもある。
恥ずかしい情報が残っていたところで。
Twitterアカウントとか、放置で構わない。
残っても、消えてもどっちでもいい。

妻に引き継ぐべき事項はノートにでも書いておくか。
しかし、ノートそのものがたくさんあるので、あらかじめこのノートだって教えておかないといけない。
つみたてNISAやiDeCoなど、自分が突然死したら、手続きがめんどくさそうだ。

自分は、ニーチェが『この人を見よ』を書いた44歳になった。
ニーチェはその後、発狂した。
突然死しなくても、発狂するかもしれないので重要な情報の引継はしておいた方が良さそうだ。
一方で、恥ずかしい情報については、後は野となれ山となれ、という気分ではある。

汎用性が高いニーチェ

ニーチェ『この人を見よ』を読了した。
何度目だろうか。
何度読んでもおもしろい。
今回は、光文社古典新訳文庫版を初めて読んだ。
訳者は丘沢静也さん。
以前『マンネリズムのすすめ』を読んで、感銘を受けた。
影響を受けた。
これも、マンネリの価値転換の書だった。

ニーチェが本書を書いたのが44歳の時。
今の自分と同じ年齢というのが感慨深い。
その後、ニーチェは心を壊してしまうことになる。
自分も注意しないと危ない。

ちょうど『100分で名著』というテレビ番組で、マルクス・アウレリウスを取り上げていて、運命愛のくだりで、ニーチェはその運命愛を極北まで推し進めた感じがすると思った。
でも、マルクス・アウレリウスと違って、ニーチェは心のバランスを壊してしまうのだけれど。
なぜだろう。

同情が美徳であるのは、デカダンたちのあいだでだけの話である。275

という一節を読んで思い出したのは、同情を欲した時にすべてを失うだろう、と歌った椎名林檎さんである。
ニーチェは現代に生きている。

不都合な結果になっても、それはその行動の帰結なのだから、原則として価値判断の対象から外すことにするだろう。449

これなどは、投資の考え方に接続する。
買値にはこだわらない、ということだ。
買値を価値判断の対象にすると売るタイミングを誤る。

うまくいかなかったからこそ、うまくいかなかったそのことに敬意を払いつづけるーーということのほうが、たしかに私の道徳律にかなっている。453

ここは失敗学に接続する。

かようにニーチェは現代の様々な知に接続するのである。
驚くべき汎用性の高さを備えている。
使えるニーチェ
日用品としての哲学。
それはニーチェが常に「価値の価値転換」を実践したからだと思う。
普段のブラッシュアップによって、哲学を本当に使えるようにした、それが価値転換の作業だと思う。
だから、21世紀、令和に生きる私たちも、それぞれが価値転換を実践していけばいい。
そういう背中を押してくれるのがニーチェの言葉である。

この人を見よ (光文社古典新訳文庫)

この人を見よ (光文社古典新訳文庫)

大竹伸朗『ビル景』見たよ

熊本市現代美術館で大竹伸朗さんの展覧会『ビル景』を見た。
1,000円で作品は、スケッチなども含めてたくさんあって、お得だよ。
大竹伸朗さんは、『既にそこにあるもの』を何度も読んでいるが、作品を実際に見るのは初めてだ。
写真撮影オーケーなのも、すばらしい。
写真撮影できないのは、個人所有の1点のみだった。
さすがに触れることはできなかったが、大竹伸朗さんは触れること、それによって作品が変化することすら本当は受け入れる気がしている。
触れることにも接続するが、額縁と透明アクリル板?で守られている絵画にはどうしても白けてしまう。
光が反射するからだ。
ので、透明アクリル板が邪魔しない絵に惹かれた。
本気になれば簡単に触れることができるもの。
たとえば「小倉1」。
小倉は自分にとって印象的な街で、どこかはわからないが、その街の一景を描いたもの。
https://www.instagram.com/p/Bw1Nv6-AvXv/
小倉1 #大竹伸朗 #ビル景 小倉は自分にとって印象的な街

とにかく歩き回って、立ち止まって眺めて、気に入った絵は近くから、遠くから何度も眺める。
一番時間をかけたのが、「東京、プエルト・リコ」だった。
英字新聞を貼り付けているが、それは東京の風景だろうか。
なぜプエルト・リコなのか。
プエルト・リコで思い描いた東京の風景ということか。
英字新聞は近づいて見ると、バットマンを見つけることができる。
バットマンを探せ」
右下にある暗いコンビニのような建物と入口から漏れる光。
駐車場に見える線。
バスセンターのように見える箇所。
古い倉庫のような建物。
細長い無数の建物はビル景にしては細すぎないか。
色々。
https://www.instagram.com/p/Bw2DjFvAERz/
#大竹伸朗 #ビル景 一番気になったのが、東京、プエルト・リコかなわかりやすい絵ではあるし、貼り込みもあるし、色々

その他、透明アクリル板が無くて、色んなモノが貼り付けられて、重ねられている作品に惹かれた。
あるいは、裏側。
木箱に書かれた絵画の裏側に回り込んで見ることができた。
「アヴェニューZ」
表より裏側。
これ輸送する時に落ちたりしないんだろうか。
1時間以上、館内を歩き回って、たくさん観察した。
できる限り、解釈はせずにイメージをそのままインプットするイメージで。
インプットであって、記憶しようとはしていない。
おそらくほとんど忘れてしまうだろう。
それでも、残る何かがあるはずだ。
そのわずかな何かがあればいいと思う。

既にそこにあるもの (ちくま文庫)

既にそこにあるもの (ちくま文庫)