めんどくさいから仕事をしている

めんどくさいから仕事をしている。
もし腐るほど金持ちで、仕事もせずに、毎日が空白だったら、何をするか考えるのがめんどくさい。
だから仕事をしているようなものだ。
仕事に行けば、色んな問題、トラブルが降ってくるので、飽きない。
ゲームだと思えばいい。
ゲームをして、お金がもらえるんだから、仕事はありがたい。
何か情熱をかける対象をみつければ仕事を辞めてそっちへ走ればいい。それがみつからなければ、仕事をすればいい。
渡邊美樹さんが、国会で発言したことが叩かれていた。
一週間七日休みだったら、云々。
七日休みの方がいいに決まってるじゃん、といった意見があったが、それはちょっと安易だろう。
多くの人は暇に耐えられない。
犯罪、宗教、パチンコ、不倫、アルコール中毒といった余計なことをしてしまう人が増えるだろう。
これはベーシックインカムの問題でもある。
ベーシック・インカム
個人的には、暇を過ごすためには教養が必要だと思う。
教養といっても高尚である必要は無い。
スチャダラパーでいいのだ。
ヒマの過ごし方。
まあ、そんなわけで自分は、遊んだりするのがめんどくさいから仕事をしている。
そのように考えると、実は仕事を結構楽しんでいる自分を発見したりするのだ。
そこがおもしろい。

まったく気力ない休日

Holiday Isand Maldives

仕事の疲れからか、休日に気力が出ない。
結果、何もできない。
何もしなくていいことはない。
子どもたちに何か食べさせたり、おやつを買いに行ったり、ポケモン図鑑を見せたりしないといけない。
ところが、アパシーにとらわれている。
やりたいことが何もない。
情熱大陸だ。
だから、夕方まだ明るいうちにアルコールを飲み始めた。
プライムハイボール500ml×アルコール8%だ。
そして、考える。
あるいは読書する。
ノートに何か書く。
こうやってブログをポメラDM200で書く。
楽しくないなあ。
でも、休日なのだから、何もしなくていいのである。
無理に何かしようと思わなくていい。
自然に何かしたくなるまで、海の底に沈んでいればいいのだ。
精神の底では、息はできる。
食べて、寝て、お風呂に入っておけば、死なない。
振り返ると、ズボンをクリーニングに出したり、子どもの要求にこたえてアイスを買ってきたり、皿洗いしたり、ガソリン入れたり、図書館で本を借りたり、それなりに色々やっている。
卑下する必要はない。
何か別の理想的な休日を想定して、それとのギャップに落ち込むようなことはしなくていいのである。
今、この文章を、図書館の駐車場でポメラDM200で書いている。
落ち着いて、一人、思考する時間だ。
何もしなくても、頭は自動機械として、何かしら考える。
それをリラックスして、キャッチすればいい。
そこから何か生まれるかもしれない。
何も生まれなくてもいいけどね。
僕は何も生産性革命に生きているわけではないから。
休日にまで、生産性を持ち込まなくていいだろう。

異動して1週間で歳をとった

異動して1週間、実働5日間。
長かった。
ようやく終わった。
週末だ。
しかし、気分は休めない。
この期間だけで2、3歳歳をとった気がする。
すでにアラフィフオヤジだ。
それはいい。
それでも5年前にいた部署だけあって、ある程度の情報はある。
5年前のメモが役に立ちそうだ。
デジタルでメモを残した自分をほめたい。

土曜日だというのに、夕方、早めに飲み始めた。
セブンイレブンハイボール、プライムハイボール500ml、アルコール8%。
アパシー対応だ。
このことはまた書くかもしれない。
部屋の片付けをするつもりだったが、あまり進まなかった。
クレヨンしんちゃんのひろしを見ていると、堂々と休日にゴロゴロしているよね。
自己嫌悪に陥ったりしない。
そこが気持ちがいいところだ。
自分などは、自己嫌悪に陥るのは、いい人だと思われたいからだろう。
堂々とだらけることができないのだ。

ビターカフェラテはカフェオに似ているか?

部下が飲んでいたジョージア・ビターカフェラテに注目。
砂糖不使用のカフェラテ。
といえば、1990年代に自分が愛飲していたアサヒ「カフェオ」だ。
たぶん時代が早すぎた。
砂糖が入っていない、甘くないカフェオが大好きだった。
それから20年以上、ビターカフェラテを早速飲んでみた。
カフェオに近い味か?
よくわからん。
もはや、覚えていない。
しかし、カフェオに近いと思った。
注目してみると、砂糖不使用カフェオレは色々発売されているようだ。
色々飲み比べてみよう。
正直、細かい味はどうでもいいが。
自分にとって重要なのは、手に入りやすさかもしれない。

3DSの「思い出きろく帳」があるので、ゲーム機を長男に渡した

Nintendo 3DS

最近、ずっと自分が3DSを管理していて、長男が申告してゲームをするというやり方をしていた。
それがお互いストレスになっていることに気付いた。
3DSを長男に渡して、自分で管理させることにした。
平日1時間、休日3時間。
勉強はそれ以上。
夜10時には終わる。
それがルール。
思い出きろく帳」という機能があった。
プレイ時間を自動で記録してくれる。
削除することもできないようだ。
その記録を時々チェックするといい。
監査することができる。
監査することで、信用が生まれる。
何事も、オープンだから信用されるのだ。

あれ?見てみると数日前からの記録が一切消えている。
初期化でもしたのか?
でも、長男に確認しても、知らないと。
うーん、こういうことがあると困る。

まあ、しかし、今はもう自分の仕事が第一だ。
子どものゲームとか、正直、どうでもいい。

妻は、ゲーム機を長男に渡すのは賛成ではないっぽい。
しかし、今のところ、自分に任せてもらっている。

Evernoteウィジェットの復活

Evernote

前回の異動時のブログ記事読み返したら、Evernoteウィジェットを活用していた。
早速、ZenFone 2 laserのホーム画面に設置
思いついたことをとにかくEvernoteに入れておけば漏れがない。
こういう時は多少ダブってもいい。
漏れがないことを優先させるのだ。
カメラをワンタップで起動する。ふせん、ポストイットをどんどん撮影しよう。
以前書いたように、付箋は「オピニ持ち歩きふせんカバー」を活用している。
使っていて楽しくなる文房具だ。
Evernoteも使っていて楽しくなるアプリだ。
使って楽しく、仕事にプラスになれば最高ではないか。

話はずれるが、異動時期は、色んなことを具体的にブログなどに残しておくと、次回、役に立つな。

ニーチェ『この人を見よ』は何度でも読める

ニーチェの『この人を見よ』は読む度に発見がある。
本書一冊でメシ5杯ぐらい食える。
今回、動かない仕事があったので、この文庫本を選んだ。
美術館の監視役のような仕事だ。
本を読める。
おもしろい。
ニーチェは44歳の誕生日前後に本書を書いている。
自分は43歳だ。
気が狂わないように注意しないと。
「片足だけは生の彼岸に置いている」という表現は、非人情(夏目漱石草枕』)に通じるものを感じる。
あるいは「病者の光学」か。
病気だからこそ見えるものがある。
半分死んでいるからわかることがある。

「沈黙している手合いは、ほとんどいつも心情の細やかさと礼節を欠いているのだ」という言葉は、いつも仕事で感じることだ。
沈黙する人間が一番嫌いだ。
うんざりする。
それでいて、面従腹背だか、抵抗するのだ。
言葉にして、バチバチやりあおうよ。

そして、今回、「何かある事柄で失敗した場合に、失敗したからこそそれだけますますその事柄を尊重する」という言葉を発見して、失敗から学ぶ感覚がニーチェにあったことに驚いた。
失敗学だ。
病者の光学も含めて、ニーチェにはネガティブな状況を強引に転換するような力を感じる。

ルサンチマンに対抗するための「ロシア的宿命主義」なども改めて役に立つ。
「冬眠への意志」とも書かれているが、自分はいつもナポレオンに攻め込まれたロシアを思い出す。
反応しない、という戦い方。
体力とエネルギーを節約すること。
これは生理学だ。

──さらに、出来るだけ腰を掛けないようにすること。戸外で、自由な運動の最中に生まれたのではないような思想──筋肉もまた共に加わって祭典を祝っていないような思想は、信用しないことなのだ。すべての偏見は内蔵から来る。p45

幸いなことに、自分は自分の席にじっと座っていられない。周りの音に耐えられないのだ。だから、しょっちゅう席を立つことになる。否応なしに歩くことになるのだ。そして、歩いている時に色々なことを思いつく。仕事を前に進めるためには歩きながら仕事するのがいいと思っている。

この人を見よ (新潮文庫)

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この人を見よ (光文社古典新訳文庫)

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