初日のMIT(Most Important Task)は自分の体を新しい職場に運ぶこと。
以上。
ストイックでいい。
緊張感もって。
たぶん、気疲れするだろう。
判断は極力しない。
スタートダッシュは翌日から。
前のめりに注意。
ご機嫌で「逆に、おもろい」。
本書を読んでいて感じる違和感、何だろうと思ったら、気づいた。
やたらと括弧「」が多いのだった。
1ページに複数の言葉が「」に入れられている。
それぞれ、その言葉の意味に留保しているようなことだろうが、それが見た目にも、引用にもひっかかりを作る。
いや、深く考えるために、あえて「」をつけることで、ひっかかるようにしているのかもしれない。
自分の好みとしては、「」を乱用しない方がいい。
本書は鉛筆へのこだわりが強い。
そこが深い思考につながるということらしい。
自分の場合、UFOパーフェクトペンシルを使ってみようと思った。
著者の主張の場合、万年筆でもいいんじゃないかと思った。
いずれにせよ、思考するプロセスが大事だ。
これって、戦略=アクションプランを作るのは、それを守ることが大事なのではなくて、作ることに意味があるといった話と似ている気がした。
手帳やノートに手書きで書くのも、書くプロセスが大事。
それにも接続する気がした。
この辺りは自分の問題として考えると思う。
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ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史(下)』を読んだ。
滅法おもしろい。
しかし、これをブログにするのは難しい。
論点が無数にあるからだ。
一部を切り取って書くのがいいのかもしれない。
イギリスで初めて蒸気機関車が走ったのが1825年。
それから、ペリーが蒸気船で浦賀にやってきたのが1853年。
30年も経っていない。
早いな。
技術の進歩がすごい。
読書と『西郷どん』が接続する。
本書を長男にプレゼントしようかな。
世界史をやるなら、本書を読むと本質が通る。
世界史の背骨みたいなものだ。
理解が深くなるだろう。
世界史の出来事には意味があって、現代までつながっているのだ。
今後、あらゆる平和賞を無用にするために、ノーベル平和賞は、原子爆弾を設計したロバート・オッペンハイマーとその同僚たちに贈られるべきだった。
ノーベル平和賞がICANアイキャンに贈られた以後の2018年にこの記述を読むのは痛快だ。
おそらく書かれたのは2014年だ。
だから、ICANを意識してはいない。
戦争というのは、核兵器の存在のために割に合わない選択肢になっている。
よく陰謀論で持ち出される軍事産業においても、戦争よりは、緊張のある「平和」の方が利益をあげるのに都合がいいのではないか。
核兵器が廃絶されたら、限定的な戦争が増えそうだ。
仮面ラーダービルドでの難波重工業のような。
それはどうなのか?
広島と長崎の日には、アメリカが憎く感じる自分も、次のような記述を読んだら、納得してしまうのだ。
原子爆弾の準備ができた1945年8月初めに、ドイツはすでに降伏していたが、日本は戦争を続行していた。アメリカ軍は、日本の本土侵攻の態勢が整っていた。日本人はあくまで侵攻に抵抗し、死ぬまで戦うことを誓った。それが口先だけでの脅しではないと信じる理由には事欠かなかった。アメリカの将軍たちはハリー・S・トルーマン大統領に、日本に侵攻すれば100万のアメリカ軍兵士の命が奪われ、戦争は1946年まで長引くだろうと告げた。トルーマンは新しい爆弾を使うことを決めた。それから2週間のうちに2発の原子爆弾を落とされた日本は、無条件降伏し、戦争は終わった。p72
空気のために、日本は戦争を止めることができなかった。
そのまま本土決戦が行われていたら、沖縄戦と同じ行動が全国各地で行われただろう。
それぐらい日本社会の空気は強力だ。
日本人はたくさん死んだだろうが、アメリカ軍も犠牲が増えただろう。
ヴェトナム戦争以上だったかもしれない。
そう考えると、トルーマンの選択は合理的だったのだ。
核爆弾が作られて、選択肢として目の前にあったのだ。
アメリカ大統領としては当然の選択だ。
それと原子爆弾を落とされた広島と長崎の膨大な市民の犠牲者たちのことを考えると、考えは堂々巡りになってしまう。
割り切れない。
割り切りすぎているICANにはイラッとくる。
核兵器が絶対悪だと正義を信じることは難しい。
そういうことも考えた。
本書からは脱線してしまった。
しかし、本とはそういう機械なのである。