仕事100%は覚悟の問題

仕事は、週40時間+やるわけだし、人生のメインの一つなので、100%ガチンコでやった方がおもしろい。どんな仕事でも、今の仕事に没入すればいい。一方で、時々、この仕事をあと20年続けるのか、と考えたりするとうんざりして簡単に死にたくなる。でも、死なない。JR通勤じゃなく、ホームに立たなくて済むのは助かっている。人は計画的にホームに飛び込んだりはしない。ふとした衝動だと思う。
100%でやると腹を括れば、色んな仕事が進む。半端に逃げようとするから精神的につらくなる。逃げるなら100%で逃げた方がいいだろう。どちらを選択しようが、自分の人生なのだから、100%しかありえないんだよね、本当は。優柔不断でぐずぐずしたって、それはぐずぐず100%になる。それでいい。何をやるにしても、やらないにしても、100%なんだと思っておけばいい。
100%というのは腹を括ることで、覚悟の問題だと思う。どんな道を進むにせよ、立ち止まるにせよ、自分で選択するということ。

例によって、各方面に相談を投げるのだが、誰一人判断しないので、物事が進まない。うんざりするが、それも 100%でやることだ。仕事とはそういうものだ。ここで、鈴木敏夫さんの言葉を思い出す。

どうにもならんことは、どうにもならん。どうにかなることは、どうにかなる。

シン・ゴジラ』の初めの方を見ると、官僚組織の決定スピードの遅さが戯画的に描かれている。おもしろい。自分の仕事にも接続する。決定スピードの遅さは、しかし、絶対的に悪いことではないだろう。それはまた考える。

とにかく仕事は100%でやればいいのだ。結果は気にしない。人事は気にしない。それらは自分でコントロールできることではないからだ。自分は自分ができることを、100%やるしかないのだ。

日光浴は精神衛生上よさそうだ

我が家は午前中の日当たりがよい。だから、日差しが暑すぎず心地よいこの季節は、休日の午前中はできる限り家で過ごして、日当たりのよい場所で日光浴をする。日光浴は、メンタルにも良いらしい。意識して太陽の光を浴びるように心がけている。
ベランダにサンシェードを張ることも多い。その中で過ごすと、温室的でポカポカ暖かい。

仕事中の昼休みは、色んな音にさいなまれる自席を逃れて、日当たりの良い場所へ逃げる。そこは南側に面していて、音にさいなまれず、場所代もかからない。たとえば、今これを叩いているように、ポメラDM200 だけを持ってシンプルな時間を過ごす。リフレッシュになる。適度に太陽光を浴びながらパワーナップ仮眠するのもいい。

昼休みじゃなくても、時々、休憩して、外に出て3分でも太陽の光に当たるのはいいことだ。鬱の予防になりそう。喘息にはどうだろうか。

五藤隆介『フルオートでしか洗濯できない人の男の家事』を読んで、逃げ恥を思い出した

五藤隆介さんの『フルオートでしか洗濯できない人の男の家事』を読んだ。読みながら、思い出したのは、ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』だった。
夫婦の「作戦会議タイム」など、パートナーとコミュニケーションをとりながら家事をするというのが、まさに「逃げ恥」っぽいと思ったのだ。平匡とみくりのダイニングテーブルでの「会議」を思い出す。家事も仕事のようにやればいい。

パートナーの家事のやり方を観察することが大事というのはなるほどと思う。そして、パートナーに取材をして、細かく言語化する。そして、家事のタスクをリスト化する。そのタスクリストはそのままマニュアルになる。仕事と同じである。
恋人、夫婦といった関係を特別扱いするからおかしくなる。そういえば、チラ見しかしていないが、ドラマ『コウノドリ』でも「夫婦は二人で一つじゃないか」という夫が出ていて、平匡さん(じゃないけど)にボコボコにされていたな。
『逃げ恥』にしろ『コウノドリ』にしろ、最近のドラマは夫婦関係に啓蒙的だと思う。学べることは多い。どうせ見るならね。パートナーと一緒に見て「学習する組織」としての夫婦を構築すればいいと思う。

フルオートでしか洗濯できない人の 男の家事

フルオートでしか洗濯できない人の 男の家事

喘息と診断されてショックを受ける42歳

咳が続くので、行きつけの耳鼻科ではなく、初めて呼吸器内科に行ってみた。

子どもの時から喘息で苦労している人の存在はわかる。しかし、自分が42歳にもなって喘息と診断されるとは、ショックだ。
NO 呼気中一酸化窒素濃度が、77ppb と高かった。
FVC が、3.40 と低い。
FEV1.0 が、3.29 と低くて、肺年齢 62歳と判定された。
呼吸抵抗検査は問題無し。
CT撮影は初めて。GE製の16列。個人病院にもあるのかあ。時代だなあ。まな板の鯉になる。採血は失神するので、横になって。自己を放下する。鼻の横の副鼻腔片側に影あり。副鼻腔炎と思われる。このため、後鼻漏で痰がからむ。
吸入ステロイドを処方された。説明動画も見た。後でネットで復習しよう。めんどくさいな。

フルティフォームの吸入方法について

まずは2週間。
喘息と一生つき合うことを考えると途方に暮れる。
新しいプロジェクトが増えた感じだ。何か止めないといけない。あるいは、既存のプロジェクトの自動化、習慣化を進めて容量を空ければいいか。読書のペースなど落とすといい。ブログは続けたい。喘息もネタになる。今年2017年は、もうこれで終わりだ。何もしたくない。

検査結果の紙を複数もらった。どこにファイルするかな。とりあえずクリアホルダーにまとめる。

ショックを受けた心を静めるために、TwitterポメラDM200、ブログ、ジブン手帳mini、測量野帳、とにかくなんでもいいから言葉にする。それでいくらか立ち直る。レジリエンス。GRIT でやる。

記録の意味も含めて、この辺りでとりあえず投稿しておく。
2週間後の数値が楽しみだ。KPI としてわかりやすいね。

未来は明るくもなく、暗くもない~『人類の未来 AI、経済、民主主義』を読んだよ

『人類の未来 AI、経済、民主主義』を読んだ。ノーム・チョムスキーレイ・カーツワイル、マーティン・ウルフ、ビャルケ・インゲルス、フリーマン・ダイソンへのインタビューをまとめたもの。

ノーム・チョムスキー

私が、個人的に気になっているのは、尊敬できる人格者であり、友人としてもたぶんすばらしい人物であるオバマより、下品で粗野で友達になりたくないと思わせるトランプ大統領の世界の方が、いい方向に進んでいる気がするのはなぜかということである。
本書を読むと、未来予測は本当に難しく、アメリカの大統領がどんな人物だろうと不確実性は無くならないということがわかる。
チョムスキーの発言を見ると、たぶんトランプが嫌いなんだろうとわかる。そして「彼は神経の細い誇大妄想狂です。」426 と断言していて、大丈夫だろうかと思う。これが「世界一の知識人」だろうか?年齢を重ねすぎて知力が弱っているんじゃないかと心配する。チョムスキーは、マティス国防長官も、戦争したがっている馬鹿だと思っているようで、全般的にトランプ政権に対する見方がフェアじゃない。偏向が見られる。その点は割り引いて読んだ方がいいと感じた。

「共感する力(empathy)」225 という言葉からは、最近読了したアダム・スミスの『道徳感情論』を思い出す。

レイ・カーツワイル

悲観的なチョムスキーから、カーツワイルの章になると雰囲気は一転する。楽観的なカーツワイルの様々な断言はおもしろい。
「ポスト・ヒューマン」という概念は、『機動戦士ガンダム』の「ニュータイプ」を思い起こさせる。
テクノロジーについては、もちろんネガティブな面もあるが、トータルではポジティブな面が上回っていると言うカーツワイルに賛成する。座間の連続殺人があったからって、Twitter を規制するなどという反応は心底あほらしい。とにかく何かやらないといけない、という官僚的思考の現れだろう。効果などどうでもいい。スケープゴートが必要なのだ。対策しましたというポーズが官僚や政治家には必要なのだ。くだらない。

カーツワイルは、原子力発電所は攻撃に弱い中央集中型と分類する。その点で、原発にリスクがあるのはわかる。一方、太陽光発電、ソーラーパワーは分散型で攻撃に強い。インターネットも分散型だ。

マーティン・ウルフ

そして、「いかに嫌いでも、アメリカは必要です。」1694 というウルフは現実主義的である。

われわれの経済に対して無政府主義的なイルージョン(イリュージョン?)を抱く人たちがいますが、そういう人たちはたいてい強い国に住んでいて、その恩恵に浴しているということを自覚していない。

これって、反安倍の人たちのことを言っているようだ。退職金をたくさんもらった定年後大学教授が雪崩をうって反安倍になっている気がする。安全なポジションからの批判のようにどうしても見えてしまう。信用できない。

ウルフの「われわれは本質のところでとても社会的な動物です。」2333 という言葉は、上↑の「共感する力」に接続する。稲盛和夫さんなどが使う「利他」が人生の意味に関わってくるというのは、最近、自分でも感じている。自分の幸せを考えるほど、他人のために何かすることが重要になってくる、という逆説がある。それは人類にプログラミングされたコードなのではないだろうか。

ビャルケ・インゲルス

様々な制約の中で「身をよじりながら一つひとつ丁寧に答えを出しつつ」2408 仕事をするインゲルスの姿勢に共感した。マッチョだ。
別の箇所では、反体制などの姿勢に対して「「過激にインクルーシブ」にすることで、革新や発見の確率を格段に上げようというのが私の態度」2542 と言っている。「複数の、しかも対立するような要求に対しても何とかしてすべて「イエス」と答えようということ」2542 から、イノベーションが生まれる、というのは自分の今のポジションでもできる姿勢だと思った。安易に妥協しない。徹底的に考える。すべての関係者を納得させるような解決方法を発明する。

フリーマン・ダイソン

ダイソンは、気候変動問題が狂信的かつ政治的になってしまっている、と批判する。それに自分も共感する。地球温暖化で食べている人たちの発言は、たとえ科学者といえど、時に信用できない。バイアスを感じることがある。全否定ではなく、他にも問題がある、ということだ。そして、気候変動問題以上にリソースを費やすべき問題がある。

私たちは、事実を確かめるよりも、物語を信じる傾向にあります。これが人間の本質です。2817

逆に言えば、人を動かすには、物語の力を利用すればいい。物語を事実、エビデンスによって批判するのがサイエンスであれば、気候変動問題はサイエンスというより物語、宗教に近づいているような気もする。

人間が、非常に社交的な動物である、という指摘も、共感の問題、アダム・スミス道徳感情論』などに接続する。また、利他であることが、逆説的に自分の幸せにつながるという意味の言葉も納得できる。
複数の人が同じようなことを言っているのは、より真理に近い気がする。

政治に関して、オバマ大統領は本気なら、ブッシュ(父)のように勝手に核兵器を廃棄すべきだった、と批判。オバマは、ノーベル平和賞をもらったり、口や思考では平和主義者のようだが、結局、実行できなかった。そういうイメージがある。一方、トランプの時代の方がましだった、という結果だってあり得ると思う。これからだろうけどね。

原子力発電についても、反対派が言うほど悪いものではないし、推進派が言うほど良いものでもない、というフラットな立場をとっている。
石炭は、原子力よりずっと多くの人々を殺すと主張。

インターネットが、全体が創発的にスーパー・オーガニズムに育つ可能性について言及している。自分は、その内、インターネットが「心」を持ってもおかしくないと思っている。最近、NHKスペシャル番組「人体」でとりあげているような情報のネットワークとしての人体が心を持ったように。

アラブの春」や「ウォール街占拠」がいずれも社会変革につながらず「失敗」したのは「既成体制を倒した後のビジョンないし物語が、しっかりと構築されていなかったからかもしれない」3257 と。今の日本の野党が、あるいは左翼勢力が、いくら声高に反安倍政権を主張し、デモを行っても、国民的支持を得られず、政権交代ができない理由も同じではないか。アベノミクスにしても、その後のビジョンがまったく欠けていては、投票する気にもならない。

個人的なまとめ

インタビューをまとめたものであり、どの発言者もおもしろく、刺激的だった。自分なりに引っかかったところを、著書などを読むことで深めていけばいいだろう。
全体として、未来は明るくも暗くもないんだろうと感じた。未来に対しては「中庸」の姿勢で臨めばいいのだろうと思う。

桐山零の部屋が理想~アニメ『3月のライオン』

アニメ『3月のライオン』で描かれる桐山零の部屋が理想的だ。ワンルームマンションの中に、眠るための大きなベッド*1と将棋盤しかない。それだけ。眠るか、起きている時間はすべて将棋盤に向かっている。シンプルで集中している。
自分はまだモノと情報が多すぎて拡散している。クリエイティブなことをやろうとしたら、もっと集中しないといけない。そう感じている。
使うツールもペンも集約しきれていない。
ふと思い出すが、鞄一つで世界中を旅した数学者ポール・エルデシュもまた自分の理想である。

試しにポメラDM200 だけ持って、2階のベランダに上がる。ベランダには簡易テントとしてサンシェードを張っている。11月初めあたりが気候的にちょうどいい。ベランダテントが快適な時期は短い。その時期を逃さずに十全に楽しもう。テントの中でたくさん言葉を書こう。できる限りシンプルな部屋でシンプルにやりたい。だとすれば、桐山の将棋盤にあたるのは、自分の場合、ポメラDM200 という気がする。
迷ったらポメラDM200 というスタイルでどんどん書いていきたい。毎日、やる気とは関係なく、習慣として書くことが大事だ。書くことが生活の一部のようにやること。

プチ書斎スペースも最近ごちゃごちゃしてきたので、片付けたい。目に見えるモノを減らすことだ。

*1:これは友人が勝手に押し付けたものだ。

レスに対する悩みに対して紗倉まなさんの素晴らしい言葉が効く

http://mess-y.com/archives/53367
↑この記事、女性向けなのかな?それでも、最後の辺りの次の言葉にグッときた。

相手から誘われること、相手と○○を楽しむことに期待しない。相手が何を言い、理由をつけて拒否をされても、なるたけ落胆しない。あなたが好きだから、あなたと○○がしたいから、あなた以外ではだめなのだとパートナーに伝え続ける。そして、自分から誘い続ける。たまに○○出来たら、そこに絶対的な幸せを感じられるように意識してみる。

ほんと、この姿勢しかない。レジリエンス。アタックして、拒否されても、復活して、また機会を見てアタックすること。その反復を粘り強く続けて、たまにできた時の幸福感を抱きしめて生きる。確か、アインシュタインも「重要なのは、アタックし続けることだ。パートナーへのアタックはそれ自体に意味がある」と言っていた。
自分は、できない時は腕立て伏せでもやろう。
紗倉まなさんの言葉は、下記↓の紫原明子さんの言葉に似ているが、主に男の方にがんばれとエールを送っていた。
http://akikomainichi.hatenablog.com/entry/2014/06/20/193529

特に男性に限って言えば、たとえば子供が生まれた後、もうそろそろいいだろうという頃に1度や2度妻を誘ってみて、とてもそんな気分にはならないと断られ、それで心が折れたのでその後もう一切妻を誘えなくなった、というような悲しい話しも耳にする。しかしこれは世の男性の皆さんが陥りやすい大きな落とし穴だ。男性の皆さんが見た目よりとても繊細なことは分かってる、分かってるけどそこはどうか強い気持ちをもってほしい。というのも、妻という生き物もまた大体が繊細で、そしてシャイでツンデレなのだ。そのときはダメでも、しばらくしてそろそろいいかな、というタイミングがやってくるかもしれない。しかしいざやってきてもなかなか自分からは切り出せない。シャイでツンデレだから。だから夫の皆さんにはなるべく根気強く、不屈の精神でそのタイミングを狙い続けてほしい。

不屈の精神、まるでインビクタスマンデラもびっくりだ。
かように、レスを防ぐためには、少なくともどちらかに粘り強さ、諦めないこと、レジリエンスが必要のようだ。
しかし、それでも何度も拒否されると心が折れそうになる。そんな時、たとえば様々な気持ちよさを体の部分で記憶して、自在にそれを再生できたらいいのに。そうすれば、レスも乗り切れそう。生涯でたった一回の素晴らしい経験があればそれでいいような。駄目だな。それだと人類は衰退してしまう。ただ、地球環境にはその方がいいかもしれない。日本の作家のSFで、人類が意志をもって衰退を選ぶという小説があったな。