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ゼロ・グラビティを映画館で観たよ〜物理学的なリアリティではないリアリティ

映画館で映画を観るのは何以来だろうか、思い出せません。
いつも一人で映画を観に行くのは後ろめたさから逃れられません。子どもたちを妻に任せるという後ろめたさ。

しかし、『ゼロ・グラビティ』はどうしても映画館で3Dで観たかった。
妻も、行っておいで、と言ってくれました。
ちなみに以下、ネタバレはありません。

アミュプラザ鹿児島のミッテ10へ行きました。
祝日だけど月曜日はJQカード会員本人は1,000円になるようです。それに3Dのプラス300円。
3D眼鏡は何とか眼鏡の上から引っかかる感じで固定できました。映画が始まると視界の狭さなどは気になりませんでした。
とはいえ、3D眼鏡無しでも3Dが体験できる技術を期待します。IMAX 3Dが凄い、という意見が多いので読んでみたら、それでも眼鏡は必要みたいですね。それなら私にはまだまだです。

ネタバレ無しの感想

目が疲れました。
それが最初の感想です。約90分の映画で限界かなと。
酔うまでは行きませんでしたが、映画の後は正直家に帰るのすら億劫でしばらくアミュプラザ鹿児島の中をさまよいました。

期待値が高まり過ぎたせいか、それほど感動はしませんでした。
映画館で3Dで観てよかったとは思います。
3Dも前後2面だけに見える時があってその3Dは子供だましに視えるのです。
3Dがハマる時はハマる。
やはりIMAX 3Dで観るべきなのでしょうか。

画面に集中するために吹替版にしました。しかし、これにはデメリットもありました。
横の席に本編が始まってからは入ってきたティーン三人組が、ジェットコースターと勘違いして最初からぎゃあぎゃあ騒いでいました。結局、「君たち静かに見なさい」と注意せざるを得ませんでした。
いわゆるDQNという人たちは吹替版を選ぶ可能性が高いと感じました。
彼らは親からも教師からもマナーを教わらないまま大きくなってきたようです。

重力のありがたみを感じます。
見終わった後は、自分の体を地球に縛りつけている重力がありがたいと感じるでしょう。
というより、やはり私たちは重力に縛られないと生きられない気がします。無重力で生きられる人類は、ニュータイプと言っていいでしょう。
重力が無いとグラウディオラのバイエルンフットボールも、イチローのライトでのプレーも成立しないわけです。

シンプルなストーリーです。
登場人物も最小限です。
映像と音などをPassiveに浴び続ける映画です。それがPassionに繋がります。

映画を離れて色々考える

映画の本当の見方は、映画のみを観ることだと思います。
スクリーンに映る映像を見て、音楽や台詞を享受すればいいだけです。スクリーンの裏側には何もありません。
しかし、ゼロ・グラビティは色々考える映画でもあります。生き方とか。
絶望的な状況において、いかに生きることを諦めないか、とか。
それは映画を人生に利用することだと思います。そういった見方は邪道だとは思いますが、そんなのは観る側の自由とも言えます。
「生きる勇気をもらいました」とか、でもいいわけです。

ちなみに私たちは絶望的な状況に追い込まれることはそれほどありません。
それほど絶望的ではないものの困難で苦しい状況で少しずつすり減っていくような状況がほとんどでしょう。そこでどういった覚悟や思考でもって自分をたて直すか。そういったことをこの映画を見終わって考えるのもいいんじゃないでしょうか。

ほとんどの人にとって、どんなことが人生で起ころうと、重力の影響下で起こる出来事に過ぎません。そう感じることができれば、絶望することは無い気がします。
また、重力のお陰で私たちは心のベクトルを見失わずに済んでいるのかもしれません。
物を落としてしまった時にそれを失敗と思うのではなく、重力に感謝する契機にすればいいでしょう。宇宙では物は彼方に飛んでいってしまい、二度と回収することはできません。それは人でもそうです。

物理学的なリアリティや各宇宙ステーションの軌道が実際は違っているなどのリアリティは問題にならない映画だと思います。