徹底的な準備

予測して徹底的に準備することが、別の何かに役立つ。
アクションプランとはそういうものだ。
逆に、アクションプラン通りに事が進んでいたら、危ない。
何か罠があるのではないか。
そういう感覚がある。

忘年会などの飲み会の幹事になるとずっとそのことが頭に引っかかっている。
できることはすべてやるが、やり過ぎるとそれが次の幹事に対して伝統として引き継がれてしまう恐れがある。
幹事の負担が重たくなってしまうのだ。
だから、幹事のような仕事においては、徹底的に考えるが、準備しすぎないようなストイックさも重要になる。

また、立場上、自分が動けばいいというものでもない。
部下に任せることも必要だ。
その辺りも徹底的に考える。

大事なのは、徹底的に考えることだ。
そして、アクションを起こすにしろ起こさないにしろ、自分で決めること。
その繰り返しによって鍛えられるのだろう。
マッチョな感じだ。
見城徹さんなんかを思い出す。
ナポレオンなんかも、戦争がアクションプラン通りに展開することはもちろん無いが、それでも徹底的にアクションプランを作って臨んだという。

徹底した準備が本番でのアドリブを生み出す。
先日、幹事を担当した忘年会では、平日だったことと来年以降の幹事の負担も考えて、あえて二次会を設定しなかった。
二次会をしないという準備をしたわけだ。
行きたい人が行けばいい。
そして、結局、自分も誘われてノリで参加した。
飲み過ぎた。
そして、酷い二日酔いになった。
徹底的に準備してもこの有様だ。
それでも準備することは正しい。

田島貴男さんが、本番には「わな」があると。
何が起こるかわからない。
でも、それを支えるのはやっぱり練習だと。
(ほぼ日5年手帳2019-2023より)
その練習を準備に置き換えても同じことだと思った。

ほぼ日5年手帳 2019年〜2023年 A6サイズ

ほぼ日5年手帳 2019年〜2023年 A6サイズ

空白時間とトラベラーズノート

先日、田舎で7時間の空白時間ができた。
最近、出かける時にはトラベラーズノートパスポートサイズとブラス万年筆をセットにしていくことが多い。
思ったのは、トラベラーズノートの革カバーはやはり手触りがいい。
常に手持ちで触っていたくなる。
textureの快楽
最初は堅かった革もずっと触ることで柔らかくなっていく。
退屈な時間には手持ち無沙汰になる。
そういう時にトラベラーズノートの手触りはいい。

体育館の2階席に陣取り、トラベラーズノートを手にする。
スカウトにでもなった気分だ。
トラベラーズノートとブラス万年筆というスタイル。
文房具もファッションである。

また、アナログツールであれば電池残量も気にしなくていい。
万年筆はインクが無くなることなどあるので、別のペンを準備しておくといいし、ペンは数本あってもかさばらない。
たとえばデジタルツールでスマホとか、別にACアダプターとかモバイルバッテリーを持ち出すとモノが重たくなる。
ノートとペンの方が圧倒的に軽くて自由だ。

早くトラベラーズノートパスポートサイズが柔らかくならないかなあと思っている。
いつも触っていたい

トラベラーズノート パスポートサイズ 黒 15026006

トラベラーズノート パスポートサイズ 黒 15026006

ミドリ ブラス 万年筆 無垢 38071006

ミドリ ブラス 万年筆 無垢 38071006

住宅CMのバイアス

「無意識のバイアス」で、2つの住宅CMを思い出した。
どちらもローカル情報番組30分の中で流れる。
そのCMでは子どものいる家庭が映るがきれいな家の中で料理、洗濯といった家事はもっぱらお母さんらしき女性がやっている。
父親らしき男性は、趣味をしたり、子どもと遊んだりしている。

一方、別の住宅会社のCMでは、おそらく新婚の若いカップルが描かれるが、キッチンに立って料理をしているのは男性側なのだ。
こちらはうまく時代の流れに乗っかっている気がした。

これらは「無意識のバイアス」事例かな。
とはいえ、前者が批判されるべきで、後者が正しい、と単純には言えない気がする。
正解は、男女どちらも家事をするように描くCMではないか。
CMを発注する側の意識と制作会社の意識とが問われている。

バイアスという言葉は重要で、意識しておくことが必要だ。
人には認識の限界があるということでもあるかな。

山に囲まれた渚にて

先日、田舎で8時間ほど空き時間があった。
Kindle Paperwhiteでネヴィル・シュート『渚にて』を読んだ。
周囲を山に囲まれて、近くのコンビニに行くにも車で10分ほどかかる場所で読むのにふさわしい小説だった。
まだ読了はしていない。
少しずつ読み進めている。

「世界の終わり」というよりは、「世界の閉じ方」を見ているようだった。
いかにして世界を終了させるか。
科学者オズボーンの言葉を借りれば、たとえ世界の終わりがわかってるとしても、その終わりを準備すること自体に楽しみがあるってこと。

1999年7の月の前、自分は、フィッシュマンズベル・アンド・セバスチャンを聴きながら、世界の終わりを待っていた。
その時の心穏やかな感覚はもう忘れてしまった。
そして、あっさり1999年7月は何事もなく過ぎてしまった。
そこからまた歴史が始まった感じがある。
歴史が始まると欲が出てくる。
それで失敗したのか、誰かを傷つけたのか。
よくわからない。
記憶はぼんやりしている。

美しい女性モイラは明らかにアルコール中毒だろうが、吉澤ひとみさんや山口達也さんを思い出して、やっぱりアルコールは危ないと思う。
亡くなった勝谷誠彦さんもアルコールのせいだ。
しかし、真綿で首を絞められているような平穏な世界で正気を保つのも大変なのかもしれない。
酔っていないとやってられないのだ。

最初はソ連と中国の戦争だったのが、誤ってアメリカがソ連核兵器で報復攻撃したために世界の北半分は滅亡した。
そして、南半分もやがて滅亡するだろう。
それって、ブラック・スワンだなと思った。
誰も予測できなかった。
世界核戦争というのは、最大級のブラック・スワンになる。
渚にて』と『ブラック・スワン』も接続した。

そして、オズボーンが言うように「世界の終わり」ではない。
ただ、人類が終わるだけだ。
確かにそうだ。
人類が滅亡しても、地球は回り続けるだろう。
一部の生物は生き残り、放射能に適応した種が新しい地球の主となるのだろう。
その世界は今より静かかもしれないが、今の月や火星に比べるとにぎやかだ。
それで十分ではないか。
地球にとっては、人類など滅亡した方がよいのだ。
その地球のイメージは私の中で良いものとして生きている。

これ『渚にて』は読み方に注意しないと自分のメンタルに変調をきたすなと思った。
危険な小説だ。
派手なことが何も怒らない。
そこが怖い。
一種のホラー小説にもなっている。
じりじり心を削られるようなサイエンスフィクションになっている。
思った通りの名作だ。
グレゴリー・ペック?の映画も見てみたい。
精神的に余裕がある時がいいかもしれないな。

人類が滅亡しそうでも、親は子どもに結婚してもらいたいと思う。
庭を家庭菜園にしようと夫婦で話し合う。
それは頭がおかしくなっているわけではない。
自分は正気を保っていられるだろうか?

渚にて 人類最後の日 (創元SF文庫)

渚にて 人類最後の日 (創元SF文庫)

人間嫌い

(この話はフィクションです)
赤の他人に対して、すぐに苛々してしまう。
車の運転をしている時とか、酷い。
人間嫌いなんだろうなと思う。
トラブルにならないように注意しないと。
喧嘩しては勝てない。
今年は一度、危ない奴に絡まれかけた。
あの高速道路で煽り運転でした奴の同類だ。
自分は厄介な人間だなあと思う。
クソ野郎に対する好奇心がポイントだと思う。
怒りではなく、好奇心を発揮する。
「なんて不思議な猿なんだろう?」

人間嫌いだから、仕事を辞めてからのために、地域とのつながりが大切です、といった意見を見ても、しゃらくせえと思う。
老人会とか、嫌だ。
退職してまで他人と協働したくない。
地域活性化とか、やりたい奴がやればいい。
いや、税金払うし、ゴミ捨て場や公園の清掃とか、やるよ、一人で。
一人で地域貢献したい。

ああ、後ろに停めた車のクソ家族が自分の車の両脇をわざわざすり抜けていくので、苛立ちがつのる。
車に当たるなよって思う。
めんどくさい。
今、自分はこの文章を車の中でポメラDM200を使って書いているのだ。
空き時間を車内で過ごしている。
その静かな時間を次々と邪魔される。
その家族にしてみれば、ただ車を停めて目的地へ向かっているだけなのだが、その無邪気さが自分を苛立たせる。
他人の車の横をすり抜けるのは止めろよ、クソが。

大会そのものに興味が無い、というのも人間嫌いを表している。
自分の両親は、自分が中学生の時に軟式庭球をしていたのを毎回見に来ていた。
全国大会が鳥取であった時は、熊本から車でやってきていた。
1回戦で負けて申し訳なかったが。
そういった子どもに対する情熱を自分は親になっても持てないでいる。
人それぞれだね。
車の中で苛々をつのらせるくらいなら、車から離れて大会を見に行った方がいいかもしれない。
少なくとも体育館の中では、車の横をすり抜ける奴はいない。

まただ。
なぜクソ市民どもは、わざわざ狭い車の間をすり抜けるのだ?
バカなのか。
そういう連中に限ってカバンをぶらぶらさせて車にぶつけたりする。
そして、そのことに気付かない。
車内にいるこっちがイラッとくるだけ。

まただ。
また車の横をすり抜けていくバカがいた。
こいつら全部『渚にて』の北半球に送り込みたい。
頭に来るのは、まったくすり抜ける必要の無い駐車場だからだ。
すり抜けるのが体育館の入口への近道ってわけでもない。
車を降りて横に出れば、わざわざ狭い他車の間を抜ける必要などないのだよ。
車を降りた時、周囲をちょっと見回すだけで判断できる。
それすら判断できないバカが、日本の地域を支えているから、少しずつ地方が沈没していくわけだ。
もっとも本人たちは、自分は車の運転が平均より上手いと思っているように、技術は高いとか、マナーが素晴らしいとか思っているのだ。
バカめ。
一度、豆腐の角に頭をぶつけたら気付くかもしれない。

まただ。
うとうとしていたところに、また二人横を抜けて、カツンと車にぶつけて行きやがった。
人間なんて嫌いだ(by 仮面ライダーアマゾン)。
こういう細かいところで滅亡すればいい。
車の横を抜けてちょっとぶつかったから、結果、人類が滅亡するなんて素敵ではないか。
バタフライ効果

ああ、せっかく隣の車が出て行ったのに、すぐ車が入ってきた。
何度も切り返している。
結局、別の場所に停めることにしたようで、出て行った。
クソが。
そもそも駐車スペースの設定幅が狭いんだよなあ。
幅を狭くして表向きの駐車台数を増やすことにいったいどんな意味があるんだろうか。
公共施設に多いパターンだ。
施設の設計でごまかしているのだ。
そういうごまかしは日本全体でもう止めませんか?
狭い国土だからこそ、駐車スペースの幅は余裕をもって広くとった方がいい。
駐車スペースが狭いから私の心も狭くなっているのだ。

8時間を超えた。
長くいればいるほど、人間嫌いと苛々が加速するので、さっさそ大会が終わって欲しいところだ。
人類のためにもその方がいい。
その意味では、閉会式で話が長いおじさんとか、人類の敵だな。

8時間の空き時間

訳あって7時間ほど空き時間ができた。
家に帰ることができない距離。
季節的に車の中で過ごすことができる。
困った時は仮眠かな。
自由とも言える。
退屈とも言える。
あとは自分がその時間をどう使うか。
ポメラDM200を持ってきた。
今、この文章を車の中で書いている。
オフィスフリード。
フリード書斎。
4-hours writingを実践できるではないか。
絶好の機会だ。

また、周囲を色づいた山々に囲まれた田舎ではあるが、WiMAXの電波が入る。
これはありがたい。
スマホが使える。
ただし、充電環境が無いので使いすぎに注意。

その他、Kindleもあるので、読書してもいい。
ネヴィル・シュート『渚にて』が退屈な場所にぴったりだ。
世界の終わりを準備するための読書。
このSF小説については別途書いている。

周囲が山と書いたが、ぐるぐる散歩、ウォーキングしてもいい。
Google Fitで記録するのだ。
普段、土日は運動できていないので、これまた絶好の機会だ。
曇り空なので、雨が降らなければいい。

体育館に入って長男が出場する大会をみればいいのだが、なぜか興味が湧かないのだ。
自分の両親は自分の軟式庭球の大会を見に来ていたなと思い出す。
愛情の違いだろうか。
その辺りは深く考えなくていい。

7時間のうち、1時間30分が経過したところで、耐えきれずに予定していた早弁をさらに前倒しして早々弁をした。
半分食べて次の早弁時間のために残しておく。
こういう膨大な時間があるからこそ、予定は細かく決めている。
早弁の後は大会を覗きに行く。
その際にトイレを済ませ、自動販売機でペットボトルの水分を確保しておく。
大会の観戦は体育館の2階席の一番上で立ち見すればいいかな。
あだち充さんの『タッチ』では、新田はなぜかいつも座席に座らずスタンドの一番上に立って上杉達也を見ていた。
視力がいいのかな、コンタクトかな。
それにあいつらは試合開始前に座席を確保したりしない。
試合が始まってから余裕を持ってふらりと現れる。

ようやく3時間経過した。
予定通り早弁を済ませた。
荷物が軽くなる。
体育館に移動、2階席の少ないところの陣取る。
まだまだ時間がある。
のんびりいこう。

試合開始。
2階席からなので、細かいところはよくわからないが熱気は伝わってくる。
ルールが複雑なゲームなので審判のタスクが多そうだ。
そんなこんなで気付いたら4時間30分経過した。
ノートを手に一人座っていると丸でスカウトみたいだな。

予選終了。
例によって時間が押している。
長男のチームは予選敗退。
あとは決勝トーナメント待ち。
これは7時間から8時間になりそうだ。
あと3時間ほど。
車内で仮眠とってもいいかな。
あ、雨が降ってきた。
灰もうっすら積もっている。
灰とダイアモンドでは、鹿児島は灰が強い。

仮眠した。
目が覚めたら7時間経過していた。
もう少し時間がかかりそうだ。
ラストスパート。
レヴィ=ストロースのように書いて、ウォーレン・バフェットのように読むのだ。

耐えきれずに車を離れトイレに走った。
体育館内アリーナの中では長そうな話の途中だった。
ようやく閉会式かな。
1時間押しているくらいだ。
8時間を超えてしまった。
雨も降り出したので、走って車に戻った。
やれやれ。
どうせ降るなら、フロントガラスの灰を洗い流して欲しい。
神のものは神に、桜島のものは桜島に返したい。

田舎での7時間いや8時間超は、将来、早期退職して田舎に引きこもった時の練習になる。
この時間に耐えられないなら、街に住んだ方がいい。
そこを間違えないようにしないといけない。

咳は出るけど改善〜咳喘息

毎月通っている呼吸器内科へ行った。
咳喘息の定期的な受診だ。
検査の結果、咳は出るのに、数値は改善した。
わけがわからない。

  • NO 呼気中一酸化窒素濃度 13ppb

正常値になっていた。
フルティフォームの吸入は続けるとのこと。
43歳なのだ、持病の一つや二つ、引き受けてやるよ。