誤読される前提のジャブ仕事術

仕事術と書いたけれど、心構えみたいなものか。
自分は、仕事においては「誤読」は仕方ないと覚悟している。
どんなに言葉を尽くしても、丁寧にメールを書いても、相手に歩み寄っても、伝える技術を向上させても、仕事の相手は、どんなに頭がいい人、実績のある偉い人でも、必ず「誤読」する。
これはそういうものなのである。
決して自分の思い通りには仕事は進まない。
そこで自分はその「誤読」を想定したうえで、メールや電話など「ジャブ」を放つ。
そうすれば、相手は「誤読」するか、誤読せずに、いずれか動く。
そのフィードバックを受けて、次の一手=NextActionを考える。
将棋みたいなもの。
相手に、誤読せずに自分の想定どおりに動くことを期待していないから、失望もしない。
思いがけない反応が返ってきても、なるほど、と思って次を考えるだけである。
そのやり方だとストレスは少ない。
これって、私は東浩紀さんの熱心な読書ではないが、郵便的からのインスピレーションを受けている。
デリダもよくわからないが、要するに、郵便が誤配されるように、メッセージもテクストも間違って相手に届く、ってことを差異とか脱構築って哲学的に表現しているんだと勝手に理解している。
これもまた誤読だろうが。
仕事において「誤読」されていていいの?って疑問には、それでいいのだ、とバカボンのパパになる。
なぜか?
自分の思い通りに、誤読なく、プロジェクトが進んだとしよう。
果たして、それでそのプロジェクトは成功するだろうか?
自分は、成功したいと思っていても、そんな私の願望とは無関係にプロジェクトは成功したり、失敗したりする。
ならば、自分の思い通りにプロジェクトを進めることは、それほどこだわる必要が無いのだ。
「誤読」によって、良い方向へ進むことも多々あるのである。
ここ、仕事ができない人ほど、自分の考えに無駄にこだわってプロジェクトのスピードを遅くしてしまう傾向がある。
リヴァイ兵長じゃないけれど、いつだって結果はわからなかったのだ。
せいぜい悔いのない方を選べ。
そして、相手が「誤読」しても、その誤読を改める努力は無駄だ。
無理矢理主張を捻じ曲げられた男は、大抵、そのことを恨みに思って、別のプロジェクトで足を引っ張ってくる。
こんなムダなことはない。
相手を説得するなんて止めて、「誤読」を受容したうえでNextActionを作ればいいだけなのだ。
ジャブについての説明が少ないが、ほとんどNextActionと同じ。
相手に関わるものをジャブと呼んでいる。
ジャブというくらいだから、相手をノックアウト=説得しようとは思っていないのだ。
相手のバランスを崩すくらいのパンチを放つ。
それに対して相手がどんなリアクションをするか。
それによって、こちらの対応を決める。
そんな仕事のやり方をやっている。
以上、まとまりが無いが、思いついたことが色々と「接続」したので、一気に書いておく。
この「接続」というのも、私のキーワードである。
仕事術と誤読と東浩紀を「接続」したような、私の思考。