かごしま近代文学館の企画展「孤高の詩人(うたびと)浜田到」を見てきた。
知っている人も少ない歌人であり詩人である浜田到(詩を発表した時は浜田遺太郎)は、鹿児島の医師であり、東京に出ていくことは無かった。
中井英夫に評価されていたっぽい。
企画展では中井英夫からの手紙もいくつか見られた。
そういったところは、大井学さんによる評伝『浜田到ー歌と詩の生涯』を読めばいい。
個人的なことを書く。
企画展では、写真撮影は禁止だったので、ダイアログノートに書き写したりした。
それで1時間半ほど費やした。
浜田到展にそれだけの時間を費やす人も少ないのではないか。
鹿児島に住んでいた歌人なのに、今まで常設展も無かったもの。
向田邦子や林芙美子なんて、ちょっとだけしか鹿児島に住んでいなかったのに、別格の扱いだ。
向田邦子はマンションの部屋を再現したスペースまである。
それに比べて鹿児島の済生会病院で医師をして、診察の帰宅時に事故死した(労災だよね)浜田到の扱いの低いこと。
この企画展をきっかけに近代文学館で資料を管理して常設展に加えて欲しいな。
アンケートに書けばよかった。
ジャブとして、近代文学館にメールを送っておいた。
日記に詩作の心得のような箇条書きがあり、それを書き写した。
日記より「心得」
1955.7.10
- 一篇(ニ於ケル言葉ノ)柔軟強弱ノ接続二留意
- 簡潔(最短距離)
- 柔カミトウルホイ
- 分ラウトスルナ。カンジトレ!夫レガ内がわカラツカミトルトイウコトダ
- ノート(メモ)ナドニ頼ルナ。ソウスルコトニヨリ、作品ノ純粋性ガ生レル。
- タエズ(デツサン)セヨ
- かまきり(北村太郎)ノ描写性
- 言葉ガ紋切型ニナルトキヲ警戒セヨ
- 荒地作品ノNote!
ブルースリーの言葉みたいな心得もあって、おもしろい。
手書きの書き写しなので間違いがあれば指摘を(誰が指摘できる?)
最後の荒地作品云々がよく意味がわからず。
その前に北村太郎の名前もあるので、詩誌の『荒地』かと推測。
そこからの抜き書きでも浜田到は持っていたか?
荒地から刺激を受けていたか?
私は、この心得を自分にしたことで、この企画展に来て良かったと思う。
そして、こうやってブログにすることで、誰かに届くかもしれないし、届かないかも。
それでもオープンに残ることは価値があるだろう。
最も好きな歌↓
肺びょうのわれに寝覚めし妻がひとり戒律のごとく坐って居たよ
- 作者:浜田 到
- メディア: 文庫
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