矢野和男『データの見えざる手』を再読したよ

矢野和男さんの『データの見えざる手』は、以前、読んだことがあった。
読み始めてすぐ気付いた。
そろそろこういう再読も出てくるなあ。
衰えた。
しかし、自分側の知識が以前と違っていて、またおもしろかった。

ランダムから偏りが生まれるという話は、自由な社会では必然的に格差が生じるということの理論的な根拠だと感じた。
多くの成功者は、自分の実力で成功したと思い、成功した理由を本にしたりするが、それらは機能しない。
なぜならランダムだからである。
別の言い方では運が良かったということだ。
この辺りの感覚は、ナシーム・ニコラス・タレブブラック・スワン』でも書かれている。
ここでも読書が接続する。

ビッグデータが、幸福を科学的に扱える可能性を拓く話もおもしろい。
イギリスなどは政策に幸福を反映させる先進的な試みをしているようだ。
やっぱりイギリスかよ。
なんだかんだでイギリスは今でも世界のトップランナーに見える。
さて、幸せ(ハピネス)は計測できるのである。
幸福論は、自分のテーマの一つでもあるので興味がある。
ハッピーを計測できれば、カイゼンもしやすくなるはずだ。

人間はストーリーにならない仮説は立てられない。
人工知能であれば、なぜ効果があるのか説明できない仮説も立てることができる。
という話は、人間の限界を知る。
人間はつい、物語を作ってしまうのである。
因果関係から逃れられない。
解釈をして、原因を追求せずにいられない。
ランダムの成功者の話では、その人が成功した原因を見出してしまう。
成功した本人ですら、自分は変化してきたから成功したなどと得意げに語ってしまう。
大きな要素が運だってことを直視できないのである。
こういった人間の認識の限界をAIは軽々と超える。
今まで人間の棋士が思いつかなかった手をAIは生み出す。
そして、そのことによって人間の棋士の思考も変化するのである。
そこにAIの可能性がある。

刺激的な読書であった。