大会は既に終わっていて、フェデラーかジョコビッチが優勝している。その大会のフェデラーと錦織圭さんの試合を録画で見ている。もちろん結果はわかっている。
私がテニスを見るのは、結果ではなく、プレーそのものをフラットに見るのが目的となっている。ある程度、予想しながら見ていて、その予想を超えるショットが出るとうれしい。グッとくる。それでも錦織さんの試合だと、感情が乱れる。結果がわかっていても、たとえば「ああここまでは勝っていたんだよなあ」とか「このショットが入っていれば」とか、後から何とでも言えることをつい考えてしまう。
テニスでは、プレーの他にボールガールを見る。つい見てしまう。プレーが退屈な試合だと、ボールガールをメインに見るくらいだ。動きがいい。自分の役割をまっとうしようとしている女の子が、時にエロい。ミニスカートとか、太ももとか、大会によってユニフォームも色々ある。いや、実際そこまでエロくない。
カメラは選手を中心に映すが、時々画面の外から入り込んで横切ったりするのがいい。それは予想を超える。
無名性、anonymous、アノニマス。甲子園のチアガールに近いものがある。自分の人生で決して出会うことが無い匿名の女の子に惹かれる感覚?街中で偶然見かけた美人のような。ボードレール的な?
2015年見た大会ではバルセロナ大会の錦織圭とフェレールの試合がベストだった。この試合でのショートパンツのボールガールは可愛くてエロくて最高だった。
もちろんフェデラーのスマートなプレーも、ジョコビッチの変態的なディフェンスも、マレーのよくわからない強さも素晴らしい。しかし、選手のプレーのことなんて誰もが語り尽くしているだろう。
錦織圭は2014年のグランドスラム決勝が本当に惜しいチャンスだった。今の錦織圭では、ジョコビッチに勝てそうにない。いや、ジョコビッチがレベルが違っている。孫悟空に勝てないベジータみたいだ。
最近、テニスの解説者も「ゾーンに入ってきた」とか簡単に言う。それは安易過ぎないか?
こういったテニスの見方をしているので、ちょっとしたスキマ時間に1ゲームだけ見ることがある。
心に余裕があれば、奇数ゲームの後の休憩時間もそのまま見るが、大抵30秒ずつ飛ばして見る。
ハードディスクの容量が気になるのでどんどん見ては消していく。義務感が発生すると、本当に見て楽しんでいるのかどうかわからなくなる。しかし、楽しいかどうかはどうでもよくて、見るか見ないか。
こんな調子なので、とてもじゃないが、ライブでテニスコートの観客席に座って2時間も3時間も観戦することはできない気がする。