いじめに関する連続ツイートを編集してまとめた

自分の経験は最大限に利用する。たとえそれが嫌な経験でも。
というわけで、先日、夢をみた。学校で自分の机が無くなるという夢だった。寝る前に見た『サザエさん』では有休をとったマスオが会社の机が無くなる夢を見ていた。その影響もあったかもしれない。
私の夢の中では、机はちょっと借りられていただけだった。だけど、夢の中の私は強いショックを受けていた。それはいじめられた経験のせいだ。「いじめられた経験があるせいだ」と説明しようとして「いじめ」という言葉が夢の中でうまく発音できないくらいだった。夢の中だと、うまく走れなかったり、言葉が出なかったりすることはよくあることだ。
いじめといってもラッキーなことに深刻なレベルに達する前に終息した。物理的被害も無く、登校拒否するほどでも無かった。たとえば、音楽経験ゼロなのに合唱の指揮者を押しつけられたくらいだ。できなくて指揮者は途中で交代することになった。
とはいえ、記憶は歪んで残っているし、中心となっていじめた奴のフルネームは覚えている。そして今でも○○してやりたいと強烈に思う。○○ノートがあれば真っ先に名前を書いてやる。思い出す度に○○っている。そいつの人生がすごく幸せであるように祈っているよ。
いじめが止まった次期は僕が部活で優勝などするようになった時期と平行している。いじめをするような奴は「強い」者には何もできないことが多い。
自分でもわかるが当時の自分にはいわゆる攻撃誘発性があったと思う。部活で結果を出して自信をもつことでそのヴァルネラビリティが消えたんだと思う。
しかし、攻撃誘発性があるからといっていじめる奴は屑だ。
そして怖いのは、自分が覚えていないところで私が誰かをいじめたのかもしれない、という思いだ。直接いじめなくても、指揮者になるのを賛成したりといった間接的にいじめた可能性はある。