熱く語られる哲学は私の好みではない

テレビをつけたら爆笑問題太田光さんが、西田幾多郎の哲学について熱く語っていました。言っていることはまっとうでおもしろかったのですが、熱い語りがどうも受け付けられなくてテレビを消してしまいました。
哲学って自分で考えることだと思っているので、熱く語られるとひく。どういうこと?
熱く語るということは、他人にわかってもらいたい、という広い意味での説得への意志が入っているじゃないかと、それを私は受け入れられないわけです。
さて、かように「私」が出ては私もまだまだなんでしょうし、ちなみに私は太田光は好きな方です。

こういう↓ことも書いているので、考えることはさほど変わっていないようです。
「私」を薄めてみる - シリアルポップな日々
「私」を黙殺せよ - シリアルポップな日々