息子とウィトゲンシュタイン

2語文というらしい。「あとーさん、ねんね」とか「おむつ、かえよー」*1とか、2才児がついに単語から文へ。テニスでいえば、乱打によって練習している。ウィトゲンシュタインだよ。「言語の意味はその用法である」云々。息子は意味がわかって2語文をしゃべっているんじゃない。ただ乱打しているだけ。「ぎゅーにゅー、ちょーだい」と言えば、母親が牛乳をくれる。そうやって脳内に回路をつないでいく。だから私には「ぎゅーにゅー、ちょーだい」とは言わない。回路が父親とつながっていないのだ。私には「ぱそこん、ちょーだい」と言う。

子どもの能力にはよく驚かされる。息子は企業ロゴを読むのを得意としている。コカ・コーラのロゴをコップにみつけると「ここ、ららら」と言う。かわいすぎ。CMに使ってみませんか?驚くのはそのデザインが少し古いものであってもちゃんと「ここ、ららら」とわかっているとこ。ちなみにシャボン玉は「しゃぼななな」である。この原稿をプレピー万年筆で書いている様子を「おとーさん、ほん」と言う。どうやら本を読んでいるのも、物を書いているのも同じように見えるらしい。

ウィトゲンシュタンを読まずに、今は息子を観察することがおもしろいわけだ。そしてできる限りいろんなことをメモしたりブログにアップしておけば、たとえば大人になった息子はそれを見ることができる。これってすごいことなんじゃないか。成人した息子にブログのアドレスを教えてあげればいい。昔であれば、父親が死んだ後、遺品から日記帳を発見するくらいしか、あるいはかしこまって手紙を書くくらいしかなかった。何かが変わっている。

*1:これは、オムツを替えよう、ではなく、風呂に入るため脱がせたオムツまだ使えるよーと私が妻に言っているのを真似したもの