鍋焼きうどん問題は間違いかな?〜幸田露伴『五重塔』⑤

幸田露伴五重塔』について5回目。
鍋焼きうどん問題は、私が間違っていたかもしれない。

其十三

長い源太の提案の後、十兵衛は一言でその提案を拒否してしまう。

其十四

夫の十兵衛に呆れて、言葉が走るお浪。
良くもこんなに言葉が出てくる。
最後に黙っていろと十兵衛に一喝される。
なんだか十兵衛は言葉が少なすぎる。
のっそりだから、仕方ないのか?

其十五

二人で五重塔を建てるのは嫌だと十兵衛は訴える。
それでは俺の面目が潰れると源太。
どちらも妙な男のプライドで、あほらしい。
もう五重塔建立なんか止めてしまえと思う。
やはり決断力に欠ける上人が元凶なのではないか。

鍋焼きうどん問題

それにしても、鍋焼きうどん問題は小骨のように喉にひっかかっているが、調査は進まない。
国立国会図書館に行って、まずは「粋菩提禅悟野晒(すいぼたいさとりののざらし)」に当たるぐらいしか思いつかない。

其十六

酔っ払いの清吉が登場。
何しに出てきた。
源太の女房、お吉と差しで飲んでいるっぽい。
親方の源太はすばらしい人物だと語っている。
そこへ十兵衛と話をしてきた源太が帰宅した。

其十七

清吉が、十兵衛に対する不満をぶちまける。
「謀反人も明智のようなは道理だと伯龍が講釈しましたが」
あれ、伯龍って神田伯龍のことか?
それならば、やはり元から『五重塔』の時代は明治なのか?
だとすると、鍋焼きうどん問題も消滅してしまう。
神田伯龍は講釈師の名跡らしい。
初代は1850年頃に没だから、江戸末期。
この清吉が言っている伯龍が何代目なのか?
はっきりしない。
謀反人の明智は、明智光秀のことだろう。
上の記述の後に、
「親方はいつのっそりの頭を鉄扇で打ちました、いつ蘭丸にのっそりの領地を与ると云いました」
とあり、蘭丸は森蘭丸のことだし、その蘭丸が明智光秀を鉄扇で打ち付けたエピソードを踏まえているのは間違いない。
さて、明智光秀の講釈をしたのが何代目の伯龍なのか?
それが手がかりになりそうなのだが、Google先生だけでは、伯龍については弱い。
ここは図書館に行きたいところである。
ちょっと調べたが、神田伯龍については、鹿児島では調べるのが厳しいな。
国立国会図書館に行くしかない。
その機会がない。

其十八

十兵衛を説得するお浪。
珍しく十兵衛も饒舌に自分の思いをお浪に語る。
お浪も納得せざるを得ない。

其十九

思案する源太。
上人の元へ。
その源太をべた褒めする上人。
すでに十兵衛は来ていたようだ。
上人は二人を試したようだ。
自主的に改革することをうながす、という感じでいやらしい。
イベントの自粛を要請するような感じだ。
どうにもこの上人が好きになれない。

五重塔 (岩波文庫)

五重塔 (岩波文庫)

ある匿名ブログのCOVID-19についての事実誤認について

仕事の上で信頼できる情報源としてチェックしているブログで首をひねる事実誤認が見受けられた。
それはCOVID-19に関してのものだ。

今回の新型コロナウイルスに関しては、感染症専門家ではない医者でも間違いが多いようだ。
だから仕方ないのかもしれないが、読んでしまったからには間違いは間違いと指摘したくなった。
全体の論旨、危機管理ができない日本というのは大きな問題なのでとりあえず置いておいて、まずは事実誤認を指摘しておきたい。

念のため、私は感染症専門家でも医者でもないので、その点は留意願います。
このブログは自分の学びのためのものです。
よって、特段事実誤認ブログを特定せずに下記を書いています。
名指ししてその人を批判する意図はありません。

「クルーズ船での信じられない感染拡大は、危機管理の失敗によるものだったことが明らかになりつつある。」
客観的な記述だが、クルーズ船対応が失敗だったとは、これを書いている2/25時点でも簡単に言い切れるものでは無さそうだ。
「信じられない感染拡大」といった言葉遣いも冷静さを欠いている。
書くなら単に「クルーズ船での感染拡大」と書けばいい。
クルーズ船対応を失敗と言うにも、色々区別しないといけない。
たとえば検疫を行うという判断が正しかったかどうか。
そして、検疫のオペレーションは正しかったかどうか。
少なくともこの2種は分けないといけないだろうが、この記事ではどちらを指して「危機管理の失敗」と言っているのか不明だ。

また「他国は、日本からの情報を全く信用していない」という証拠にアメリカが改めて14日間の隔離措置をとったことを上げているが、これはクルーズ船の検疫期間中に感染拡大したことによるもので、日本からの情報を信用していないわけではないだろう。
そもそも日本側は、14日間の検疫を終えて下船させたからって、感染していない証明を与えたわけでもない。
それはこの後にもあるが、書き手が、おそらく新型コロナウイルスの検査について勉強不足であることから来る誤読である。
そもそも他国政府からの批判を特段目にしていないが、どこかの国から何か日本政府に対してクレームがあったのだろうか。
自分が見た限りではインドネシアだったか、日本は情報を出さないという閣僚のインタビュー記事を見たぐらいだ。
2020年3月1日時点で、アメリカが渡航制限をしているのは韓国とイタリアだ。

「クルーズ船から下りた日本人たちは、公共交通手段で帰宅した上に、以後の行動に制約はないのだから、確率的にウィルスは拡散されることになる。」
ここも事実誤認がある。
2/24にBuzzfeedが記事にしているが、クルーズ船に乗船して支援にあたった和田耕治教授のインタビューを読むと、下船した乗客に感染者がいることも想定して、何か症状が出たら連絡をくださいとか、外出はできる限り控えてくださいというお願いを示した「健康カード」を配っている。
「いわゆる法令に基づいた今回の検疫は14日間というのが限界」という状況でやれることをやっているのだ。
日本は法律に基づいた対応をしている、行政とはそういうものだとブログ著者が知らないはずはない。

「陰性だったサンプル取得移行の隔離が不十分だったために、運の悪い人が新たに感染したかもしれない」というのはPCR検査について勉強不足である。
先の和田教授も発言しているが「検査の感度(陽性者を正しく発見する割合)も100%ではありません」ということなので、陰性が感染してない証明にならないことは、感染症専門家の間では常識だし、そんなことはTwitterでも見ておけばわかることだ。
当該ブログの書き手さんは何を情報源とされているのだろうか?
ことCOVID-19に関しては、情報源が弱いと感じた。

ここまで勢いで書いた。
少なくとも日本のCOVID-19対応が間違いだったかどうか、失敗だったか、このことをもって日本が危機管理ができない国かどうか、というのは現時点であれこれ言えないだろう。
それだけは書いておきたかった。
当該ブログの著者はそれなりの経歴と地位のある人だが、何かめずらしく感情的な記事で事実誤認が多いと感じた。

この文章はこのまま投稿するが、私は感染症の専門家ではないし、医療関係者でもないので、この文章は正しい情報を伝える目的ではなく、それなりの地位にある人が匿名で書かれたブログに強い違和感を感じたのでそれを指摘したいだけである。
もちろん反論もあるかもしれないが、そこは謙虚に聞いて、間違いがあれば認めて訂正していきたい。

納得と理解〜カント「啓蒙とは何か」①

新型コロナウイルスに関連して「納得と理解」というキーワードで色々考えながら、Twitterに連投している時に、ちょうどカント「啓蒙とは何かーー「啓蒙とは何か」という問いに答える」を再読して、冒頭部分で接続した。

 啓蒙とは何か。それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜け出ることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。こうして啓蒙の標語とでもいうものがあるとすれば、それは「知る勇気をもて」(サペーレ・アウデ)だ。すなわち「自分の理性を使う勇気をもて」ということだ。 
(『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』光文社古典新訳文庫 p10)

TwitterPCR検査を求めて騒いでいる人たちは、納得を求めている。
その姿勢は、まさに未成年の状態である。
PCR検査をしてもらわなければ自分の理性を使うことができないでいるのだ。
風邪症状のみでPCR検査しない理屈については、感染症の専門家たちがありとあらゆる場面で説明している。
もちろんTwitterでも説明されている。
ところが納得を求める人たちは、それらの説明を理解しようとしない。
なぜなら納得できないからだ。
そこが間違っている。
やみくもなPCR検査が不要というのは、納得できるかどうかの問題ではなく、理性でもって理解すべき問題なのだ。
ここでワイドショーが、納得を求める人たちをエサにしている。
ワイドショーは、正しい知識の理解ではなく、視聴者の納得のために作られているのだ。
また、納得を求める人たちは未成年の状態であるため、自ら学ばずに誰かが答えをくれることを期待して鯉のように口をパクパクさせている。
そして、納得できる答えが得られないと「結局欲しい答えは誰もSNSでは答えてくれない」と憤る。
なんだろう、この圧倒的幼稚さは。
健康人のマスク使用も、自分を納得するためにやっているのだろう。
信頼できる専門家が、マスクの適正使用を何度も説明してもそれを理解しようとしない。
Twitterは、未成年の状態を相互に維持するのが容易なフィールドだ。
未成年の状態の仲間は容易にみつかり、互いに接続する。
そして、いつまで経っても自分の理性を使う決意も勇気ももてない。
それはどうやら学歴や職業は関係ない。
東京大学卒で元東京大学特任教授の医者もPCR検査について、専門家からだめ出しを受けているし、新型コロナウイルスに効果がある薬がわかってきたとツイートする元経済産業省官僚もいる。
ひどいものだ。
熊本の重症看護師さんのような個別の事例を見ると、納得できないのはわかる。
しかし、それをPCR検査しろ、と接続するのは明確に間違っている。
そこがどうしても理解できないのだ。
なぜなら納得いかないからである。
そういう人たちにいくら説明しても、どうも言葉が届かない。
それでも粘り強く啓蒙を続ける専門家の人たちには脱帽してしまう。
この先「啓蒙とは何か」を読み進めて、カントはどのように書いているだろうか。
Twitter新型コロナウイルスの状況を考えながら読むと、理解がより進む気がした。

永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)

永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)

  • 作者:カント
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2006/09/07
  • メディア: 文庫

納得ではなく、理解しろ

鼻づまりで不眠。
Twitterを見てしまった。
西日本新聞 たらい回し」で検索すると、ひどかった。
早く検査すれば、とか、みんな検査に感情的にこだわる。
それは納得を求めるからだ。
新型コロナウイルスの検査については、検査してもしなくても、その患者さんの治療は変わらない、つまり新型コロナウイルスであっても通常の肺炎治療しかないのだから、患者にとっては検査はあまり意味が無い、というのは感染症専門家が何度もくり返し主張しても、納得できないのだ。
いや、納得じゃなくて、理解しろ。
それがすべてだと思う。
Twitterには、俺を納得させろ、というアカウントがうようよいる。
高等教育の失敗かもしれない。
一例でもって沸騰しすぎだ。
また、それを安倍晋三批判につなげるとか、ちょっと飛躍しすぎ。
その納得できない人たちに、上昌広さんのような医師がガソリンを投下するから炎上し続ける。
子どもの発熱が続いて不安な母親のツイートに便乗して不安を煽る人たちもいる。
酷い有様だ。
私は聖人君子ではないので、どんどんミュートしている。
ブロックまではしない。
あまりに酷い場合は、Twitter社へ報告している。
判断するのはTwitter社だ。
河野太郎大臣もミュートにしておけばよかったのに。
西日本新聞に関して言えば「たらい回し」って言いたいだけじゃないかって思った。
酷い新聞だ。
医療崩壊させたいのかな。

ちなみに今回の新型コロナウイルスに対応して、色々と医者をフォローした結果、一般人としては岸田直樹先生をフォローしておくのが最も落ち着いて対応できる気がするので、おすすめです。
話題の岩田健太郎先生は「劇薬」です。
上昌広先生は、、、言わないでおきます。
ちなみに上昌広先生は、感染症の専門家ではありません。

「納得ではなく、理解しろ」そして「西日本新聞は信用できない」、この二つがこの記事の結論です。

以下は、この記事を公開後に思い出した蛇足である。
アメリカ人のマイク・ヒューズ氏が、自作ロケットで墜落死したというニュースを最近見た。
なんでも地球平面説、地球は丸くない、平らである、ということを証明しようとしていたとのこと。
これなどは、理解ではなく、納得を求めた結果の悲劇のように思える。
地球は丸いというのは、おそらく多くの人が感覚的には納得できない。
しかし、令和の我々は、地球が丸いことを理解し、ほぼ納得して生活している。
それでも一部の人たちは、納得できずに地球平面説を支持しているのだ。
納得できるかどうかを基準にするのは、それくらい怖くて滑稽なのだと思う。
ちなみにGIGAZINEの詳しい記事を読んだら、マイク・ヒューズ氏は、本当は地球平面説を信じてはいなかったらしい。
ややこしい世界だ。

テレビのアンテナレベルが改善したよ

地元チャンネルのテレビ映りがどうにも映りが悪い。
デジタルノイズが入る。
ブロックノイズというのか。
地上デジタル放送なのに映りが悪いとか、詐欺に思える。
アンテナレベルを見てみると、最大34とか、その程度。
「アンテナレベルが44未満の場合は、正しく受信/録画ができない場合があります」とある。

大家さんに電話したら、どっか電器屋に依頼して請求書回していいよ、とのことだった。
しかし、適当な電器屋に依頼するわけにもいかないなあと不動産屋に相談して、出入りの信頼できる業者さんに依頼した。
以前も来てもらった個人事業主っぽい電器屋さんが来てくれた。
思うに、こういう個人事業主の業者さんって年齢がどんどん上がっていくよね。
若い人はいない。
これ近い将来、結構不便になるよなあ。
ケーズデンキとかに依頼すると、ちょっと信用できない電器屋が来たりするもんなあ。
結局、アンテナ自体を交換することになった。
交換作業して、再びアンテナレベルをチェックすると最大80と段違いに改善されていた。
これで情熱大陸も録画できる。

自分をアホと認識

町田康『しらふで生きる』をアルコールをたしなみながら読んだ。
前半、ちょっと同工異曲の内容が続いて停滞したが、途中からビジネス書のように役立つ記述が増えてきた。
実は、お酒を止めたいと本書を手にとっても、なんでかよくわからんが、自分はお酒を飲むのを止めたと書いてあるだけなので役に立たない。
本書の大きなポイントは「自分を普通以下のアホ、と認識改造」することだと思う。
これはTwitterをやるうえで重要な姿勢だと感じた。
Twitterをやっている時は、全能感というか、俺は頭がよい錯覚に陥って、偉い人にも対等につっこんでいく、といった無謀なツイートをつい脊髄反射でやってしまう。
Twitterは偉い人もそうでない人もすべて同じフィールドに乗せているってところに特徴があるからだ。
これ、サッカーだとメッシと同じフィールドでサッカーをすることはほぼ不可能だし、仮に同じフィールドでやれたとしても、メッシは手を抜く。
ところが、Twitterだと下手なツイートすると、プロからボコボコにされて強いショックを受けたりもする。
非常に怖いフィールドなのだ。
さて、町田康さんが断酒について「自分を普通以下のアホ」だと認識しておけば、怒りを抑えたり色々メリットがあるだろうと書いている。
先日、福岡地下鉄でマスクせずに咳をしていた乗客に腹を立てて緊急停止ボタンを押した老人は、自分を偉いと思っているから「目上の者に対する口の利き方か」といった台詞が出てくるのだ。
そんな認識はTwitterをやるうえで役に立つ。
自分はアホだから、脊髄反射ツイートでよくミスをする。
それを指摘されたら、あ!なるほど、そういうことか、俺はアホなのでわからんかった、指摘してくれてありがとう、という謙虚な気持ちになれて、精神衛生上もよいのだ。
注意しなければならないのは、自分をアホだと認識できる俺って偉いという傲慢なメタ認識に陥らないことだ。
そうなると、Twitterでも、自分をアホだと認識できる偉い俺にクソリプとかお前何様だ!という傲慢さが爆発してしまい、クソリプの応酬合戦が始まってしまうだろう。
それは不毛だ。
その他にも、しらふで生きるでは、他人と自分を比較してはいけないとか、幸福は束の間のものであるとか、人生論のような役に立つ記述が多くて、ビジネス書のように機能するのだ。
文体は町田康だけど。
だから、本書はお酒を止めたい人にはそれほど役に立たず、Twitterをやっていて苛々しがちな人に役に立つ気がした。
『しらふでツイートする』ということだ。

しらふで生きる 大酒飲みの決断

しらふで生きる 大酒飲みの決断

しらふで生きる 大酒飲みの決断 (幻冬舎単行本)

しらふで生きる 大酒飲みの決断 (幻冬舎単行本)

オープンネガティブ〜『メンタル・タフネス』を読んだよ

ジム・レーヤー『メンタル・タフネス ストレスで強くなる』を読了した。
購入して、しばらく読んで、あれ?と思ったら、ジム・レーヤーは他の本をすでに読んでいた。
もう、記憶が曖昧になっている。
それでもいい。
繰り返し読むことで、メンタルがタフになることを期待している。
メンタル・タフネスは自分が目指す領域だ。
メンタルがタフなら、たいていのことはなんとかなる。
言い換えると、マッチョかな。

もはや目新しい情報はない。
自己啓発本はたくさん読んできたので、同工異曲に感じられる。
ストレスそのものは悪ではない、ストレスはためになる、というのが本書の主張だ。
ストレスに対する姿勢が大事だ。
感情をいかにコントロールするか。
感情は重要な要素だと自分でも思っている。
EQとかね。
厳しい状況でおおらかでいられること、そうした地点に立ちいたい。
いつもイメージするのは、ドラゴンボール孫悟空だ。
フリーザと退治して、地球の危機でも楽しそうだ。
そういったポジティブなタフネス。

ポジティブな姿勢でいた方が、自分の外の状況の変化に気づきやすくなる。
その変化に気づくことが、成功に接続しやすくなるのではないか。
つまり、運が良くなる。
一方、ネガティブだと常に自分にだけ関心が向かってしまい、視野が狭くなる。
そうしてチャンスに気づかない。
だから成功できない、運が悪くなる。
ここから言えるのは、オープンネガティブであれば、無理にポジティブじゃなくてもいいんじゃね?ということだ。
もしかすると他人からみたらオープンネガティブは、ポジティブに見えるかもしれない。
ちょっとおもしろいアイデアだと思った。
なかなかポジティブにはなれないよ、と思う人は、オープンネガティブを意識してはどうだろうか?
思い出したのは、ダイソー社長の矢野博丈さんが、オープンネガティブな感じか。
注意しなきゃいけないのは、オープンであってもあまりにネガティブを発散すると家族や周囲の人間に悪影響があるかもしれないってことぐらいかな。
あるいは、オープンネガティブがクローズドネガティブに闇墜ちする可能性も。
だから、オープンネガティブは戦略的に、意識的にやる必要がありそうだ。
しかし、そうなるともはやネガティブとは言えない気もしてきた。
もっと言えば、大事なのは、ポジティブかネガティブか、ではなくオープンな姿勢であることだな。
そして、ポジティブであればオープンな姿勢を保ちやすい。

メンタル・タフネス―ストレスで強くなる

メンタル・タフネス―ストレスで強くなる

  • 作者:ジム・E. レーヤー
  • 出版社/メーカー: CCCメディアハウス
  • 発売日: 1998/05/01
  • メディア: 単行本