汎用性が高いニーチェ

ニーチェ『この人を見よ』を読了した。
何度目だろうか。
何度読んでもおもしろい。
今回は、光文社古典新訳文庫版を初めて読んだ。
訳者は丘沢静也さん。
以前『マンネリズムのすすめ』を読んで、感銘を受けた。
影響を受けた。
これも、マンネリの価値転換の書だった。

ニーチェが本書を書いたのが44歳の時。
今の自分と同じ年齢というのが感慨深い。
その後、ニーチェは心を壊してしまうことになる。
自分も注意しないと危ない。

ちょうど『100分で名著』というテレビ番組で、マルクス・アウレリウスを取り上げていて、運命愛のくだりで、ニーチェはその運命愛を極北まで推し進めた感じがすると思った。
でも、マルクス・アウレリウスと違って、ニーチェは心のバランスを壊してしまうのだけれど。
なぜだろう。

同情が美徳であるのは、デカダンたちのあいだでだけの話である。275

という一節を読んで思い出したのは、同情を欲した時にすべてを失うだろう、と歌った椎名林檎さんである。
ニーチェは現代に生きている。

不都合な結果になっても、それはその行動の帰結なのだから、原則として価値判断の対象から外すことにするだろう。449

これなどは、投資の考え方に接続する。
買値にはこだわらない、ということだ。
買値を価値判断の対象にすると売るタイミングを誤る。

うまくいかなかったからこそ、うまくいかなかったそのことに敬意を払いつづけるーーということのほうが、たしかに私の道徳律にかなっている。453

ここは失敗学に接続する。

かようにニーチェは現代の様々な知に接続するのである。
驚くべき汎用性の高さを備えている。
使えるニーチェ
日用品としての哲学。
それはニーチェが常に「価値の価値転換」を実践したからだと思う。
普段のブラッシュアップによって、哲学を本当に使えるようにした、それが価値転換の作業だと思う。
だから、21世紀、令和に生きる私たちも、それぞれが価値転換を実践していけばいい。
そういう背中を押してくれるのがニーチェの言葉である。

この人を見よ (光文社古典新訳文庫)

この人を見よ (光文社古典新訳文庫)