パルプ・フィクション

先週は、自分がパルプ・フィクションになってしまい、映画を見損ねた。
激しく落ち込んだ。
もう失敗はしない。
家族にも宣言し、ほぼ日手帳weeksにも書き込んだ。
絶対に行くのだ。
そして、やっぱり手ぶらで行くのだ。
前回、スマホを自宅に置いたことで、不便を味わった。
それでも意地で手ぶらにこだわる。
自分をアート的な実験体にする試みだ。
思考の変容だ。
スマホが無いと、移動時間やスキマ時間が暇だろう。
それこそが狙いだ。
暇になると思考する。
それが目的だ。
パルプ・フィクションが始まれば、その流れに身をまかせればよい。

さて、映画そのものの話をしようか。
当初、予定していたように手ぶらで映画館へ。
スマホを持たない、ということだ。
解放感がある。
まったき自由だ。
雨が降りそうだったので、折り畳み傘は仕方ない。
電車の待ち時間は、ニーモシネのブロックメモとブラス万年筆でメモをする。
フーコーの言う覚え書きだ。
映画は分散思考(森博嗣)でいい。
身を任せよう。
浸ればいい。
映画は、どんな観客が近くに座るかも含めてpassiveな体験だ。

パルプ・フィクションは長かった。
ドアの前で、まだちょっと時間が早いからと時間調整する場面とか本当に無意味ですてきだ。
女性陣がすばらしい。
ユマ・サーマンは寝ゲロも美しい。
ブッチのガールフレンドはエロかわいい。
ティム・ロスのガールフレンドもキュートだ。
言葉は汚いが、意外と露出は少ないんだよね。
タランティーノのセンスだと思う。
伏線かと思った絆創膏は結局回収されなかったな。
furious angerなど、ヒアリングが上達している自分に気づいた。
またしばらくイメージを頭に残して考え続けるだろうね。

1994年の映画でギャングたちは車を運転しながら携帯電話で電話していたが、その頃、日本ではまだ普及していなかったよね。
大学生役の田中麗奈さんが「お母さんケータイ買っていい」というNTTドコモのCMが1995年から1996年じゃなかったか。
そのCMの真似をして、学食であらかじめ打ち合わせした女子と「ケータイ(番号)教えて」「教えない」ごっこしていた。

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