豊田長康『科学立国の危機-失速する日本の研究力』を読んだよ_vol.1~からのティール組織としての大学へ

豊田長康学長(鈴鹿医療科学大学)の『科学立国の危機-失速する日本の研究力』を読みました。
2,600円もする本をなかなか最近買っていないのですが、豊田先生本人からTwitterで返信がくれば買うしかありません(笑)。
豊田先生は、国立大学法人三重大学の学長や国立大学財務・経営センター理事長など経験され、国立大学法人化以降の大学行政や現場の状況に詳しく、また理系博士ということでデータ分析などもご自身でされています。
本書は、そうした豊田先生による科学技術政策に対する主張の集大成でもあり、豊富なデータと図を駆使して、政府が進めるEBPMにも一石を投じる内容となっています。
大学や科学技術政策に関する政策関係者にとって必読書だと思われます。
もっと言えば、本書を踏まえない科学技術政策議論はもはや無意味だと断言しても言い過ぎではない気もします。

迷ってKindle版を買いました。
Kindleのハイライト機能が便利であり、今後色々と参照する資料として使うにはデジタルデータの方がいいと判断したからです。
ただ豊富な図表をしっかり見るにはタブレットじゃないとスマホKindle paperwhiteじゃ苦しいところがあります。
下記には、整理しきれない雑多な読書感想や論点や考えたことを列記します。
私はざっくり論ずることが性に合っているので、議論に飛躍があったり荒かったりすると思います。
自分にデータや図表を駆使して丁寧な議論ができる能力があったなら、今頃は博士論文を書いていますでしょう。
それができなかったので、こうしてブログを書いているわけです。

教員数の問題

国立大学の教員数の定義が途中で変わったり、大学間で異なる問題が指摘されていました。
となると、政府関係資料で「教員一人当たり」というデータが出てきた時は注意しないといけないとわかりますね。
資料を鵜呑みにすることなく、定義や出典を検証する必要があります。
めんどくさいことです。
でも、統計不正の問題があり、政府や官僚を信用できなくなった今となっては仕方ありません。
有識者会議のメンバーに選ばれた先生方にも汗をかいて検証してもらわないといけませんよね。

選択と集中(メリハリ)の罠

選択と集中の罠、つまりメリハリの罠は、メリで研究従事者(FTE)が減ってしまい、ハリで収穫逓減で効果があまり上がらなかった、要するに、マイナス10よプラス5でトータル△5というのが日本の現状だと理解しました。
それよりは、恵まれない人的環境でがんばっている大学や研究室に少しでいいから資金的支援をした方が、日本全体として底上げができるのではないか、というのが著者の主張だと思われます。
さて、本書を政策決定者の人たちは読んで吸収してくれるでしょうか。
読まない、という選択肢はありえないとここでも書いておきます。

科学技術予算

科学技術予算総額については、先日、日本共産党が下記のとおり批判していました。
www.jcp.or.jp
トリックによる数字のごまかしはまずいでしょう。
内閣がこんな感じでは、統計不正も起こるのもさもありなんです。
EBPMなんかも絵に描いた餅ですね。
科学技術予算が、著者が求めるヒトへの投資ではなく、公共事業に多く使われているという現状です。
これでは科学立国も厳しいと言わざるを得ません。

味方を増やす

ただ、もう財務省を批判するだけじゃ駄目な気がしています。
財務省も味方につけないといけません。
中の人に国立大学の現状や運営に理解を持っていただく必要があります。
そのためには、神田眞人主計局次長が本書を読んでくれることを期待しています。
読まれて考えが変化することだってあるでしょう。
Twitter財務省批判をいくらツイートしても、財務省は痛くも痒くもありません。
むしろ自分たちの政策を批判された官僚たちは、かえって意固地になってしまい、文教・科学技術政策に柔軟性が失われてしまうかもしれないとさえ思います。
官僚だって人間だもの、一方的に叩かれて心地よくはないでしょう。
財務省の内在的論理(佐藤優)を理解して、交渉する必要があるとも感じています。
自分にはそのチャンネルはないので、誰かに期待するしかないところです。
ちょうど千葉雅也さんの『意味がない無意味』を読んでいて、世界が複数化したポスト・トゥルースの状況においては社交が必要となる、という主旨の箇所を読んで、ハッとしました。
もう財務省と国大協や豊田先生では、違う世界なのではないか、という可能性です。
そうなるとまともに議論はできず、まず「社交」が必要になってきそうです。
バンと机を叩いて声を上げたりといった半沢直樹ごっこをしている場合ではありません。

本書にないアイデア

これは本書に書いてあることではありませんが、イノベーションのためにはティール組織が有効な気がします。
本書と並行して『ティール組織』を読んでいるので、そんなことを考えるのですが、ティール組織においては、組織の構成人各人に決定権が与えられます。
教員が各自独立して研究を行っている大学にはふさわしい組織だと思いました。
G1サミットというイベントにおいて、落合陽一さんが、イノベーションはまぐれ当たりだ、という主旨の発言をされたようですが、まさしくその通りだと思います。
そのためには、予算は広く配分し、小さな賭けがたくさん可能な環境を整えるべきでしょう。
その無数の試みからクリック・モーメントをキャッチしてイノベーションは生まれるのであって、おそらくイノベーションの「選択と集中」ができるような目利きは存在しません。
ティール組織というのは、信頼をベースとした組織です。
予算を広く配分するというのは、政策決定者が各研究者=教員を信頼することから生まれます。
今のメリハリ≒選択と集中という方針は、政策決定者の不信から生まれているように思われます。
大学に努力が足りない、というわけです。
まあ、会計検査院という存在も、財務省予算執行調査も、現場への信頼ではなく、不信から生まれていますよね。
そういった現場への不信から、国立大学は生産性が低い、という論点になっているのではないでしょうか。
そうではなくて、ティール組織として、まずは信頼し予算を配分すること、そこからしイノベーションは生まれない気がするのです。
ちなみに、「平成31年度予算の編成等に関する建議」にあった国立大学は生産性が低い、という主張に対しては、国立大学協会が明確に批判しているのですが財政制度等審議会はその批判に対して答えていません。
でも、それでは財政審や財務省の主張に説得力は無いですよね。
EBPMを掲げるのであれば、批判に対して反論なり応じるべきだと思われます。
いや、どこかに反論があるのかな?
誰か教示していただけたらありがたいです。
今、ふと思いついたのですが、元々大学は中世のギルドが発祥だと理解しています。
ギルドというのは同業者の組合ですね。
だからこそ、大学という組織にフラットなティール組織はぴったりだとも感じています。

最後に

長くなりました。
本書の内容そのものについての検討は少なく、私が好き勝手書いている文章になってしまいました。
また、本書については、書くかもしれません。
今後もずっと考えるでしょうから。
まずは、Kindleでハイライトした箇所を読み返したり、出典に当たったりしようと思います。
ちょうど財政制度等審議会が「平成31年度予算の編成等に関する建議」への意見を募集していますので、建議のエビデンスを検証したりして、意見はぜひ提出したいと思っています。
できることをやるしかありませんから。

科学立国の危機: 失速する日本の研究力

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