もうダメだ、という感じしかない。
子育ての限界。
俺には、GRITを持って粘り強く男子を育てる能力が無い。
諦めるしかないのか。
諦めたところで、日々、顔を見ると苛々してしまう。
こういう状況が続いて、日置市の殺人事件のような結末になってしまうのだろう。
あれは家を出てはいたが、引きこもりのようなものだ。
新幹線殺人事件だって、同様だ。
男子が引きこもると、ろくなことがない。
今の時代は、引きこもるとインターネットやゲームといった気晴らしがある。
これらは、際限なく時間を消費しながら、本人から思考を徹底的に奪う。
そこが恐ろしい。
現実で何か嫌なことがあれば、インターネットやゲームに逃げ込めばいい。
引きこもりそうになる子どもに対して、自分は厳しすぎるのか?
昔は、ちょっとぐらいいじめがあっても、何があっても、学校へ行くのが当たり前だった。
のび太がどれだけジャイアンにいじめられても、朝になると学校へ行くのは、時代がそういう時代だったのだ。
今は子どもに優しい時代だ。
甘やかしているのと表裏一体でもある。
具体的に、自分の子どもに対して、自分は優しく、粘り強くできない。
昔ながらの厳しさを発揮して、追い込んでしまう。
それが本人にとって、プラスになっている実感がない。
でも、そうしないことには自分自身が壊れてしまう。
最悪の結果を想像してしまうのは、思考が飛躍しているのかもしれない。
もう俺には何が正しいのか、わからない。
せいぜい悔いがないように選べ。
そんなことをリヴァイ兵長に言われたとしても、どうすれば悔いが残らないのか、さっぱり判断できない。
心がどんどん削られていく。
気分としては大根おろしだ。
ロシアワールドカップを前にして、こうやって不眠の日々が続くのは本当につらい。
自分が特急列車に飛び込まないように。
子どもを自殺に追い込んでしまうような最悪の結果になったところで、それはもう私にはどうしようもできないという無力感。
先日、読了したGRIT本には、日々のネガティブ1に対して、ポジティブ5必要と書かれていた。
今はネガティブ5といった状況にポジティブ2、といった感じ。
ポジティブ25必要なのだから、23足りない。
ポジティブ23のためには、一日24時間じゃ足りない。
昨日は、朝からジブン手帳miniやEvernoteを使って、徹底的に考え、準備して臨んだのに、その結果が家でのんびりワンピースを見ている子どもだった。
脱力した。
俺がやったことはなんだったんだ。
子育て放棄した方が、かえって本人のためになるのかもしれない。
そして18歳になって成人したら、親子の縁を切るのだ。
その方がいいんじゃないだろうか。
あるいは、戸塚ヨットスクールに入れるとか。
距離が必要かもしれない。
そんなことを言うと、あるドラマで母親に子育ての責任を押し付ける石黒賢が演じた役のようにママたちから批判されるのだろう。
父親は、静かに追い詰められていく。
学校の教師って、本当に大変な仕事だよなあ。
インターネットやゲーム、こいつらの存在が本当に憎い。
中学生男子にとって、害悪でしかない。
ゲームに救われたとかたわごとを言う偉い人がいても、その裏で膨大な廃人が生まれているはずだ。
それぐらいインターネットとゲームはやばい。
中毒性に対して、個人での無力を感じる。
私は今、いったい何をやっているのだろう。
もうわからなくなってきた。
何もするな。
それが唯一の正解のような気がする。
ただ、起こる状況に対して、機械としてフラットに反応するのだ。
愛情をかけているつもりでも、プラスになるとは限らない。
非人情にやれば、それで十分かもしれない。