無駄の選び方

無駄だと思われる遊びや道具、そうしたものの選択でその人が見えてくる。
人生を彩るのは無駄の部分ではないか。
音楽、ロックミュージックやたくさんのCDなどは無駄そのものだ。
キャンプも無駄だし、マラソンも無駄だ。
しかし、無駄なことに情熱をかけている人は美しい。
だから、どんな無駄を選択するかでその人が決まってくる。
趣味と言い換えてもいい。

今はキャンプだ。
実際にキャンプするよりアウトドアグッズをあれこれ見るのが楽しい。
それでいい。
無駄なんだから、時間潰しでいいのだ。
要するに、暇の過ごし方、スチャダラパーだ。

ヒマの過ごし方

ヒマの過ごし方

そんなことを考えて、ぼちぼち書いていたら、将棋の行方尚史八段が「生きていくのに必要なことは「無駄」だ」と発言して、それを木村一基八段が聞いて関心した、というツイートを見た。
すばらしい。
真偽とか、意図とか、どうでもいい。
まあ、将棋も無駄と言えば無駄なのだ。
最近、興味があるキャンプだって無くても死なない無駄だ。
サッカーも野球も無駄だ。
ワールドカップやオリンピックは壮大な無駄の祭典だろう。
しかし、人生にはそういった無駄が必要なのだ。
子どもを作らないセックスとかも。
そだねー