Twitter ツイッターの自由

Twitter

確かにバカなツイートかもしれない。
でも、フォロワー10のツイートをフォロワー10,000超えの人が引用リツイートしてさらすのを見て、意地が悪いなあと思った。
無粋な人だ。ゲスに対して、別種のゲス。

そんな Twitter に対して、何かを馬鹿にしたり蔑んだりするツールとして使われるとは思わなかった、というツイートを見た。
ツイートはその人の本性に近いのかも。
それでも、自分は、Twitter に表れる本性はゲスでも、会って話をしている時にいい人なら、それでいいと思う。
他人の本性は直接見えなければそれでいい。
まあ、Twitter の初めの頃のハッピー感を知っている人は、どんどん失望しているのかもしれない。
自分は、元々それほど Twitter に期待していない。
まあ、こんなものだろうと思っている。
酷いツイートは色々な方法で見ないことができるしね。

そのネガティブな面にこそ、Twitter の自由を感じる。
自由と言えば、自分は一旦ツイートしても、しばらくして削除することが多い。脊髄反射ですぐに後悔することも多い。
そこも自由だと思う。一旦したツイートには責任を持たなければならないとか、なぜわざわざ制限をかけるのだろうか?
よくわからん。
まったき自由でいいじゃん。

そういうわけで、失望しながらも、Twitter からは離れられない。
自分のツイートに時々うんざりしながらも、日々使っている。
自分に合っていると思う。
殺伐としたタイムラインも、それもまた Twitter