子育てのまったき自由

on the road

子育ては自由だ。他人の意見はすべて傾聴する。そのうえで、採用するかどうかは、自分で決める。そういう自由。虐待しないとか、食事を食べさせるとか、最低限の条件をクリアしていれば、後は壁の外のように自由が広がっている。子育てにおいては、インプットとアウトプットに相関関係が無い。親がどう育てようが、子どもは勝手に育つ。坂口安吾が言ったように「親がなくても子は育つ。ウソです。親があっても子は育つ、です」という辺りに真実がある。Twitter で教えてもらったように、夏休みの課題を親が手を出すのも子どもに任せるのも自由なのだ。どれが正解というものはない。その時、その時でベストを尽くすこと。それしかない。自由というのは正解がわからないということ。調査兵団がそれを体現している*1。エルヴィン・スミスやリヴァイの「迷い」に自由がある。しかし、行動としては何かを選ぶしかない。選んだ結果を引き受ける覚悟に自由の本懐がある。まじ、つらいな。息苦しい生き方だ。もっとリラックスしてもいいかな。どうでもいいや。自由すらどうでもいい、という自由。ふぬけになって生きる。今は特に寝不足だから、ふぬけながら仕事している。凡ミスには注意。
長男の夏休みの課題については、もう諦めた。頭が働かなくなった。無理だよ、無理。そして、睡眠は重要だから、遅くても深夜24時には寝るようにルールを決めた。掟だ。
アドラーに「課題の分離」という概念がある。長男の課題は、長男のものであって、私の問題ではない。子どもといえど、そこをきっちり区別すること。あくまで他人事。
子育ては、以上のような葛藤を抱えつつ、日々、振り子のように揺れながらの実践なのだ。また、結果から親の評価もできないことが大部分なのだろう。だから、色々気にする必要は無い。好きなようにやればいいのだ。
上に書いた「24時には寝ること」という掟は、しかし、監視はしていない。運用は緩く。子どもには、基準を示したい。自分のパフォーマンスや生産性を自分で計測できるようにならないといけない。寝不足が翌日の授業などにどういった影響を与えるのか?客観的に、自分で自分の状態を観察できる能力は絶対に必要。子育てにおいても重要なのは「詳細で具体的な成長支援のためのフィードバック」*2なのだろう。

*1:進撃の巨人

*2:伊賀泰代『生産性』p130