糸井重里さんの凄さと40歳からの危機

Desert

浅田彰さんの『逃走論』の中に「本当にすぐれたプロというのはアマチュアであることをやめないひと」という言葉があって、すぐに思い付くのは株式会社ほぼ日の糸井重里さんだ。実際、浅田さんの文章(『広告批評』1983年3月号)でも別の箇所で糸井重里さんの名前が出ている。当時、糸井さんはコピーライターとして広告業界の人だったのだ。で、何が凄いって、この文章が書かれてもう34年が経っているということ。そして、糸井さんは現在でもトップランナー中のトップ、上場企業のトップ。ほぼ日手帳を生み出したり、とまったく衰えていないところ。真のスキゾ*1だったからこそ、ここまで生き延びてこれたのかなあと思う。

そんな糸井さんにも危機の時期はあったようで、次の記事に詳しい。
aera.1101.com

糸井さん40歳の頃。自分はもう42歳になっているけれど、危機を脱していない気がする。
「僕はゼロになることを意識するよう心掛けた。」と糸井さんが言っていて、それは「アマチュアであることをやめない」という言葉と呼応している気がする。
糸井さんはその頃に釣りを始めたと。自分はその「釣り」に当たる何かをまだみつけきれていない。危機をだらだらと引きずっている。

自分が、浅田さんの逃走論を読んだのは、1994年、20歳前の頃で、大学浪人中で、ある意味、危機の時期だった。そのスキゾ論は生き方として深くインストールされて、その危機をうまく乗り越えることができた。それから23年が経過し、定職も15年ほど、結婚もして子どもも三人生まれた。パット見、パラノ的なサラリーマン人生になっているが、そんな生活の中でもスキゾ的に生きることが精神の維持に必要な気がしている。「逃げろ」と言われてもなかなか逃げられない中で、実際には旅をほとんどしなかったドゥルーズのように、動かなくても速度を上げることができるかどうか、その点にかかっていると思うのだ。
何だか抽象的な物言いになってしまって、じゃあ、具体的にどうするのか、さっぱり思いつかないのだけれど、40歳の長いトンネルを
抜けるとそこは砂漠だった、という感じに気付いたらなっていた、という地点を目指している。

*1:今風に言えば「ノマド」だろうか。