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切断する美学〜小学校の卒業式にて

飲み会の一次会の後、お店の外で二次会にも行かず、誰も言い出しっぺがいなくて、ダラダラしている時間が嫌いだから、さっさと帰ってしまう。一次会主義をとっている。

先日、長男の小学校卒業式があった。感動以上に苦行だと感じた。元々のタイムスケジュールだと10:00〜12:00なので、終了したのは13:15と1時間以上も時間が押した。原因は、話が長いからだ。話が長いのは、原稿を準備せずに、思い付きでしゃべるからだ。スピーチを準備せずに臨むのは、日本人の悪い癖ではないか。そして、式典などでの時間感覚が甘い。せっかくいい話をしても、長いとだらけて台無しになってしまう。これは教育の失敗だろう。スピーチの練習をしていない、教えていない。終わりが見えない話。終わらせる人がいない。ずるずるべったりの情緒の世界。豊洲新市場問題みたいな空気感。自分はシリアルポップでドライな世界の方がいい。感傷は一人で後でじっくり味わえばいい。
人生は実に厳しい。そして、式典すべて大嫌い。それが改めてわかった。
この怒りを、苛立ちを絶対にブログに書こうとメモして、それを元にこうして書いている。

今日は、職場で退職する人がいた。廊下で少し立ち話をした。ちょうど同じタイミングで今の部署に来たのだった。なぜ辞めるのか?、どこに行くのか?そんな話。それくらいさっぱりドライな別れが美しいと思っている。いつものようにフラットに、お疲れ様でした〜と帰る。それで終わり。翌日、姿は無いと。そういう感じがいい。自分は、自分の退職日でもそうやって職場を去りたい。気付いたら、いないよね、という風。

話も別れも飲み会も、物足りないくらいでばっさり切断できるか。そこに自分の美学はかかっている。