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セックスと眼精疲労と存在論的危機感

セックスした翌日、眼精疲労がありませんか?
Googleで検索してみたが、あまりこれといった情報は無い。
自分だけ?

それはともかくfinalvevtさんが、性欲について「存在論的な危機感」という表現をされていた。


わかるようなわからないような。存在論的というのが難しい。少なくとも自分の中では腑に落ちていない。しかし、自分の性欲について考えた時、なんとなくわかる気がする。ずっと考え続けると思う。

40歳過ぎて性欲が落ちてくるかと思っていたが、そうではなかった。
こじらせている。パートナーとのギャップの問題もある。若い時みたいに素直に性欲を発露することもできない。不倫は家庭を壊す。めんどくさい。
中年の性欲は色々と難しい。それを「存在論的危機感」と表現すればそんな気がする。
システムの再構築が必要かもしれない。

カッコ悪い夫とセックスしたいとは思わない。なるほど、確かにそれはそうだ。つまり、夫は仕事でどんなにボロボロになっても、帰宅して敷居を跨げば男としてしゃんとしないといけないのだ。更に父親であれば、イクメンである必要もある。男は家庭でも緩んではいけない。妻に甘えてはいけない。仕事の愚痴を垂れ流してはいけない。妻はお母さんではないからだ。そうなると、大人の男に緩む場所は無い。緩むのは死ぬ時だけだ。そう覚悟してしまえば、意外と心はすっきりする。マッチョな思考だが、なかなかいいものだ。

自分はしょっちゅうTwitterに弱さを垂れ流してしまうが、最近はすぐにツイートしたことを後悔して削除することが多い。一度ツイートしたものを削除するのはよくない、というストイックな意見もあるが、Twitterにそんなルールは無い。誰かが勝手に設定したルールを他人に押し付ける必要は無いし、自分も従う必要は無い。削除できるんだから、削除している。一度口に出した言葉は戻らないし、一度ツイートした言葉は削除しても完全には消去できない。そんなことはわかっている。わかっていて、削除という方法を選んでいる。
また、自分の場合、妻と相互フォローしているので、自分の弱みツイートは妻も読んでしまう。それって、自分の辛さをわかって欲しい、という甘えであるのは間違い無い。そこは歯を食いしばって否定しないといけない。ツイートしても削除する。それがギリギリの在り方。もちろん、最初から弱みは見せない方がいいに決っている。そうでないとセックスすることはできないだろう。