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アクティブ・ラーニングを批判しているわけではないけれど〜ソロー『森の生活』

Active Learning Classroom Panorama


アクティブ・ラーニングを批判しているわけではないけれど、自分は2016年の今、大学生じゃなくて良かったと心から思う。
下記のようなツイートをした。

特に話題になっていない。
しかし、ちょうど読んでいたソロー『森の生活』に下記の記述を見つけて、仲間を得た思いになった。

 時間の大部分を私は独りで過す。それは健全なことだからだと思う。仲間と一緒だと、たとえ善人でも、すぐに退屈になり、散漫な気持になってしまう。私は独りでいるのが好きだ。孤独ほど親しい友を見つけたことはない。われわれは、自分の部屋に籠っている時よりも、外出して人ごみの中にいる時のほうが、たいていの場合もっと孤独である。考えごとをしたり、仕事をしている人間はいつも孤独なのだ。どこにいようが、そっとしておいてあげようではないか。孤独というものは一人の人間とその仲間たちの間を隔てている寂しい空間のマイル数で測れるというものではない。本当に勤勉な学生なら、ハーヴァード大学の学生がいっぱいいる巣箱のような一室で勉強していても、荒野での一人のダルウィーシュと同様に孤独である。(ヘンリー・D・ソロー『森の生活』「孤独」)

アクティブ・ラーニングを導入する文学部とか、最悪だ。どうして私を引っ張り出すのだ。教授は壇上で勝手に自ら重ねた思考を語ってくれればいい。私はその講義を勝手に聞くか、居眠りをする。素晴らしい講義ではないか。私はそっとしておいて欲しいのだ。
他人と議論する時間からは何も生まれない。一人で思索する時間が最も重要であり、大学生という時間は一人でいられる最後の時間なのだ。大学生は孤独にとどまって思考すべきだと思う。そのための贅沢な数年間がある。
まあ、これは私の深夜の思考からの勝手な思いつきではある。しかし、猫も杓子もアクティブ・ラーニングという状況は不健全だと思っている。医者を養成する医学部と文学部(たとえば哲学科)はまったく異なる価値観を持っていていいのではないか。前者にアクティブ・ラーニングは必要だろうが、後者には不要。そういった議論は無いのかな?ちょっと探してみよう。

森の生活 (講談社学術文庫)

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