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保坂和志『遠い触覚』は「自由」について書かれていると読んだ私

思索

保坂和志さんの『遠い触覚』を読み始めた。
保坂さんはそんなことを書いていないが、私は読みながら「自由」について考えている。その自由は、何かをする自由ではなく、何かをしないでもいい自由という感じ。
Twitterしなくていい。
ブログも書かなくていい。
読みたい本だけ読もう。図書館で三冊借りてきて、一冊だけ読んでもいい。
メモはしてもしなくてもいい。
『遠い触覚』で書かれている小島信夫さんの小説を読まなくてもいい。デビッド・リンチの映画を見なくてもいい。リンチの映画に関しては、『イレイザーヘッド』や『ロスト・ハイウェイ』などいくつか見たはずだが、保坂さんが書いていることをほとんど思い出せない。それでいい。
色んなことが、それでいいんだ、という自由を考えた。
別途、スピノザとか読んでいるから「自由意志」はフィクションだと思っている。そんな世界での自由は、今ここの行為や思考、状況を丸ごと肯定する、という自由ではないか。
それで今はKindleに読みかけの本がたくさんあるが、『遠い触覚』だけをぽつぽつ読んでいる。ぽつぽつとしか読めないのは、体調が悪いからだ。ここ数日、お腹と背中の張りが続いた。少しGoogle検索をすると、最悪のシナリオとしては大腸がんが出てくる。リアリティは無い。漢方胃腸薬とか、飲むヨーグルトとか、食べるヨーグルトを大量に摂取してやや改善傾向にある。そして、仕事もしていて、雨が触れば本は自宅待機となる。濡らしたくないのだ。だから、読むのは仕事で疲労して、雨の中をのそりと歩いてようやくたどり着いた自宅で、バイトを始めたばかりの妻は緊張と疲れで短気だし、ご飯を食べたり子どもたちを風呂に入れたりしているともう眠たくなる。『遠い触覚』を読むことができるのは、不眠の深夜。体調がいいと不眠になり、本が読める。何がいい状態なのか、よくわからない。
だから、ブログも書けない。メモするのもめんどくさい。思い付いたタスクも脳内に放置する。忘れたらそれまで。体調が悪いと複数のタスクをとばさないとやってられない。
サッカーとかテニスがあるのも困る。地上波だけでも録画がどんどんたまっていく。師走にはクラブワールドカップがあるではないか。1985年のトヨタカッププラティニが私の最初のヒーローだった。ふてくされてピッチに横臥するプラティニは本当にかっこよかった。しかし、私は当時小学校の野球部に所属していた。もしサッカー部に入っていたらどうなっていただろうね。

私の家族はみんなマットレスで眠っている。マットレスを床や畳に敷いて寝ている。朝起きると、私はそれらのマットレスを立てる。三つ折りなので、少し折った状態だとマットレスは横に立つ。そうしないと気が済まない。仕事から帰宅して、敷きっぱなしのマットレスを見ると悲しくなる。しかし、それは自由じゃない。時には敷きっぱなしでもいいではないか。もちろん、湿気などがこもらないためには毎朝マットレスは立てた方がいいだろう。しかし、時には立てなくてもいいではないか。そういうところを一つずつ自由にしていきたい。

どうやら私の「自由」は、何かをする自由ではなく、何かをしなくていい自由のようだ。

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