偶然によって生きてきた

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photo by Wendy Longo photography

自分の40年の人生を振り返ると偶然に頼って生きてきた。
計画的偶発性理論というのがある。まさしくそんな感じ。
進学も恋愛も就職も結婚も、いずれも自分がそれらを目標として設定して達成してきたものではない。

ポイントは「準備」だと思う。
徹底した準備。無目的な準備。
何に役立つかわからないが、とにかくやる。ためる。ある日ある時ある場所で、その準備が活きるタイミングが訪れる。そのチャンスをつかむ。準備ができていれば、簡単につかむことができるだろう。もしつかめなかったとしても、その時じゃなかったという理解で、また淡々とフラットに準備をすればいい。

思い出したのは、スティーブ・ジョブズの有名なスピーチ。大学を中退して受け続けたカリグラフィーの講義が後にMacのフォントに活きた。それをジョブズは、未来で線として繋がるかどうかわからないけれど、点を打つみたいな話をしていた(と記憶している)。
徹底した準備というのは、とにかくたくさんの点を打ち続けることだと思う。先々それが活きるかどうかわからないけれど、やるんだよ。
スティーブ・ジョブス スタンフォード大学卒業式辞 日本語字幕版 - YouTube

何をやるか、って時に基準となるのは情熱だと思う。自分がワクワクすることをやればいい。それが無い時どうするのか?その時はある種の自分探しをするのがいい。つまり、情熱の対象を探し求めること。旅をする。本を読む。オン・ザ・ロード。しかし、自分はもう40歳だよなあ。自分探しとかやっている場合ではない不惑

受験勉強は失敗した。失敗して二浪した。一浪して自宅浪人、二浪して代々木ゼミナールに通った。代ゼミでの複数の講師との出会いで、勉強することがおもしろいとわかった。そこからは勝手に勉強した。成績と合格という結果は後から勝手についてきた。
進学した大学も第一希望ではなかった。そもそも第一希望が無かった。行きたい大学が無かったのだ。行ける大学、学費が安い公立大学、自宅から通える近所の大学を選んだ。とにかく本を読もうと文学部を選んだ。万事その調子で進んだ大学で彼女に出会った。セレンディピティ。今となっては、その他の選択肢は考えられない。

偶然は私の人生の底流を流れている原則だと思う。

過去記事

一年近く前に書いた下記記事も同じようなことを考えて書いていた。クリック・モーメントだね。akizukid.hatenablog.com