失われた細菌を求めて〜『失われてゆく、我々の内なる細菌』

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photo by uonottingham

マーティン・J・ブレイザー『失われてゆく、我々の内なる細菌』を読んだ。岩田健太郎さんのおすすめ本。みすず書房で堅い感じ。しかし、これが上質のミステリー小説のように滅法おもしろかった。
現代におけるある種の病気の増加原因を細菌を手がかりに追求していく。

抗生物質の濫用とか、ずっと自分も注目してきた事象が扱われている。
また、細菌に対するイメージも変わった。ちょっとTwitterを検索しても100%の悪者として扱われているピロリ菌も実はそうではないなど。凶悪犯も息子にとってはよい父親かもしれない。

単独の細菌の機能ではなく、膨大な種類の細菌によって作られている個々人のマイクロバイオームが重要という概念。マイクロバイオームは細菌叢とも言うらしい。叢は草むらという意味で細菌の構成が全体として人間と共生関係にあるイメージとしてとらえた。

ここで注意して欲しいのは、私は医療関係者ではなく、医療に関する専門的な訓練を受けていないので医学的には誤った言葉遣いをしている可能性は大いにあります。

著者のユーモアのある文章もおもしろい。たとえば次のような箇所↓

嘔吐するときもピロリ菌は消化管を逆流し、数フィート先まで飛ばされ、周辺の環境を汚染するーー考えるだけで元気が出そうだ。(129)

著者のピロリ菌に対する愛情を感じる。さかなクンさんみたいな匂い。この後に「下りはより容易である。」と続いて笑ってしまった。

ピロリ菌喪失の最後の原因に、ピロリ菌が他のピロリ菌とセックスすることを好むということがある。セックスは彼らの生物としての欠くべからざる一部である。炭疽結核を引き起こす細菌のように、より個別的な菌もあるが、ピロリ菌にとって自由恋愛は生き方そのものである。(132)

ピロリ菌のセックス!人間のセックスにおけるキスやその他の行為は互いの細菌を交換しているようなものらしい。女性の膣は豊な細菌叢を有している。それらを交換しても、大人であれば数日もすれば互いの元の細菌構成に戻ってしまうらしい。これは残念。セックスによって互いの細菌を交換し、互いのマイクロバイオームが変化してしまうような恋愛って素晴らしいと想像したのに。
しかし、新生児にとっては出産時に母親の産道から得る細菌がその後のマイクロバイオームの構成に重要な役割を果たすらしい。そこから帝王切開の問題点も書かれている。見えないコストがあるんじゃないかという話になる。
ピロリ菌にしても、ピロリ菌を取り除いた方が利益になる患者と取り除かない方が利益になる患者がいるという話になる。

家畜の成長促進に抗生物質が使われているという話、世界全体で肥満が増えているのも抗生物質の使用によるものではないかという話。家畜については、日本人がありがたがる高級和牛の霜降り肉がいかに不自然で不健康なものであるか、と感じた。おそらく抗生物質が使われているのだろう。酪農業界も調べてゆくと色々と「不都合な真実」が出てきそう。国産だから安全、アメリカ産は心配といったレベルではない気がする。

抗生物質はその使用量を減らすことに加えて、たとえば狭い抗生物質を使った方がいい。絨毯爆撃のようにありとあらゆる細菌を叩く抗生物質ではなく、スナイパーのように狙った細菌のみを駆逐する抗生物質。しかし、利益を求める製薬会社にそういった抗生物質を開発するインセンティブは働きにくい気がする。別の仕組みが必要かもしれない。個人的に期待するのは、Googleで、自動運転車を開発しようとしているGoogleであれば、その内医療業界にも参入してパラダイムシフトを起こしてくれそうな期待もある。

もちろん抗生物質は絶対駄目という単純な話ではない。抗生物質を使う利益が潜在的なリスクを上回る時だけ使えばいい。しかし、その診断が難しいという問題はある。たとえばさらっと本書に書いてあった「ウイルス感染と細菌感染を区別できる診断法」が開発されれば、医者はウイルス感染患者に対して抗生物質を処方する必要は無くなる。もちろん訴訟リスクも無い。

こういう本を読むと、子どもの病気や2009年の新型インフルエンザ騒動から関心を持つようになった医学に対して自分も何か貢献できないか、という気持ちになる。ちょっと具体的なアクションは思いつかない。こうやってブログを書いて少しでも多くの人に本書を読んでもらえたらというぐらいか。それも立派なアクションだと思う。

読みながら胸焼けを感じたのはピロリ菌のせいだろうか?

失われてゆく、我々の内なる細菌

失われてゆく、我々の内なる細菌