音楽は暴力的であることに無意識な人は困る

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photo by Worlds In Focus
音楽の力とか歌の力とは脳天気に言うテレビが嫌だ。音は他人の耳に強制的に入り込む。望んでいない音楽を聴かされるのは暴力だという意識が欠如している。

隣人が休日に何時間もオペラを歌っている。それが神経に障る。昼間だからいいだろうって?普通、ピアノの練習だってせいぜい1時間程度で終わるだろう。その程度であれば耐えることができる。しかし、オペラは数時間、連日続いている。はっきり言ってノイズでしかない。いくらうまい歌であっても、聴きたくない音楽はノイズでしかない。
おそらく歌っている当人にそういう意識は無い。
だから、土日にオペラが聴こえてくると私は仕方なくイヤホンをしてiTunesの音楽で歌声を打ち消している。そして、怒りのエネルギーでこういう文章を叩いている。
確実に私はオペラ嫌いになるだろう。防音室で歌って欲しい。

自分も音楽好きだから、盲目になるのはわからないでもない。自分が好きな音楽は無条件によいものだと思ってしまう。それを理解しない人はわかっていない。そういう傲慢さが無意識にある。そして、自分にとって気持ちのいい音楽が他人にはノイズでしかない、という想像力に欠けてしまう。そういう構造がある。

こんなことを考えるようになって、自分の場合、MacBook AiriTunesでイヤホンをして音楽を聴くことがほとんどになった。それと車の運転時。家族が乗っていても、音楽やラジオの権利は運転手にあると思っている。それ以外で他人がいる場所で音楽を鳴らすことは無くなった。

しかし、オペラを歌う隣人は、こちらの子どもたちが騒ぐのがうるさい、と思っている可能性はありそう。そういう意味ではお互い様なのだろうね。仕方ない。自分はオペラが聴こえてきたら、耳栓するかイヤホンで音楽聴くことで我慢するよ。

もう一点、引越しする前の家でも隣人の低音が神経に障っていた。これって精神的な症状かもしれません。メンタルクリニックに行けば、何かしらの診断を受けそうではあります。そういう点での対処も必要みたいです。つまり、本質的に音が原因ではない可能性もあります。
子どもがバスケットボールをアスファルトでドリブルする音も気に障るなあ。一方、車やバイクの音は平気だったりするので何でしょうね。