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ポール・オースター、J.M.クッツェー『ヒア・アンド・ナウ 往復書簡2008-2011』を読みながら自分が考えたこと

http://www.flickr.com/photos/27865228@N06/4985309226
photo by david_shankbone


ポール・オースターとJ.M.クッツェー、作家二人の往復書簡。

オースターが、チャールトン・ヘストンに偶然会ったエピソードは、それがチャールトン・ヘストンだから気付いたっていうだけで、私たちは意外と多くの人と邂逅しているのではないか、という気がした。

チェスの中毒性
ゲームに全力を傾けることで得られる解放感
自意識の重荷から一時的に解放される

なぜ単純に空腹を感じた時に食べないのか?一日を三食に分けたのは誰なのか?
そういうことをローリング・ストーンズキース・リチャーズは批判していた気がする。食べたい時に食べること。自由であること。キースは一日三食の習慣は工場の都合だって言っていた気がする。

ちなみに私はこの記事を自分の思考で書いている。よって引用ではない。また、オースターとクッツェーの手紙を区別していない。自分にとってはどうでもいいことだから。

イスラエルの全人口を立ち退かせてワイオミング州を与える案
突拍子もない案かもしれないけれど、そういうことも考えないと行けない気も確かにする。しかし、ワイオミング州にはエルサレムが無い。そこが大きな問題のような気がする。

アメリカの教育危機。オバマはこれを何とかしようとしている。共和党の大統領になったら、そこには手をつけない気がする。
日本の大学改革はどうだろう?大学教員、特に理系の教員は教育者であるというより、研究者という自覚が強くて教育については研究より後回しにされる問題がある。教育は評価されず、自分が所属する大学への愛着も無い。より格上の大学から引っ張られたら簡単に移籍してしまうだろう。しかも、サッカー選手と違って、移籍金がゼロ!つまり、大学は若手教員に投資してもそれが無駄になる、結局、投資した結果を旧帝国大学がかっさらってしまうことがほとんどなのだ。奈良先端科学技術大学院大学山中伸弥さんに投資した結果はほとんど京都大学が得ている気がするのだけれど、、、
大学のビジネスモデルを変える必要がありそうだ。

ひょっとするとパレスチナの女性たちが指揮者の座を引き継ぐ時代がやってきたのかもしれない。
なるほど。多くの指導者、経営者をすべて女性に明け渡してはどうだろうか?少なくとも戦争は減る気がする。もちろん女性であっても男性である女性は多い。そういう女性ではなく、女性ある女性や女性である男性がリーダーになること。リーダーの定義を変えること。ここにも新しいビジネスモデルが必要なのかもしれない。
ビジネスモデルと言っても、利益を上げるばかりがモデルではないだろう。日本の官僚機構にも新しいビジネスモデルが必要な気がする。
とりあえず女性の数を、割合を増やすというのは一つの有効な方法だと思う。結果については予測できない。ランダムに賭けること。

話題がずれるのは仕方ない。イスラエルパレスチナの問題は世界の最重要課題の一つだろうが「課題の分離」を行えば、それは私の課題ではない。

エルサレムでは花が咲き乱れ、五月の光が差し、石は重厚で、様々なまばゆい色にあふれている。(179頁)

「反則ややられたふりがばかげていて恥ずかしい気持ちにさせられる」スポーツとしてサッカーが挙げられている。確かにその点にはいつもうんざりさせられる。そして、時々、人が死ぬ。コロンビアのエスコバルの時には、しばらくサッカーを見る気が起きなかった。でも、結局、見ている。それだけの魅力はあるのだろう。
サッカーについては90分集中して見ることがなかなかできない。なかなか点が入らずにフラストレーションがたまることが多い。逆にフラストレーションがたまるからこそ、点が入った時の感情の爆発が大きくなる面はありそうだ。そこにある種の中毒性がある。サポーターは中毒者であることは間違いないと思う。「中毒」という表現を使ってはいるが批判しているものではない。パチンコ中毒よりは、熱狂的サポーターであることの方がどれほどましかと思う。しかし、時々、サッカー中継である種のサポーターたちがアップになると見た目で柄悪そうと思って不快な気分になることもある。あるクラブの試合をスタジアムに見に行く時には、サポーターたちから距離を置いて座ることにしている。聞くに耐え難い野次や言葉を聞かなくていいように。
よいイスラエル人も悪いイスラエル人もよいパレスチナ人も悪いパレスチナ人もいるように、よいサポーターも悪いサポーターもいるよね。

スポーツが教えてくれることは、負けること。なるほど。圧倒的多くの敗者。ワールドカップサッカーで勝者はドイツのみ。後の31チームは敗者。学ぶことは、負けたっていい、ということ。サッカーのサポーターになるという経験も圧倒的に多くの負けの経験を学ぶことになる。負けることを学ぶことはいいことだ。上の話からすると、圧倒的に負けが多いからこそ、J1昇格を決めた時の勝利の美酒が甘美なものとなるのだろう。
そして、スポーツは戦争と違って負けても死なない。この点でスポーツは善と言える。戦争は悪だ。
イスラエル人とパレスチナ人はサッカーをやったらいいと思う。この場合もサポーター同士で殺し合いが始まるかもしれないが。しかし、現状よりはましな気がする。

  • 完全試合を誤審で逃したガララーガの素晴らしい態度

少年と少女のセックスについて
たとえば大人が10代の少年少女とセックスすると逮捕されるのに、10代の少年と少女のセックスは誰も逮捕されないのか?前々から疑問に思っている。後者も規制すべきなのではないか?後者を規制しないのであれば、前者も規制しなくてよいのでは?混乱している。混乱しているのは、セックスについておっさんやおばさんたちがフラットに語ることができないからだと思う。要するにエロい妄想をし過ぎなのだ。思春期を過ぎて、生殖能力を得た男女であれば何歳だろうが、機会があればセックスするだろう。セックス自体は問題じゃないと思う。問題は、セックスの結果ではないか。性病や望まない妊娠。その結果に対して何ができるかを具体的に考えるべきではないか。

2011年3月11日直後の手紙に日本や地震原発事故のことについてまったく触れられていないことに注目した。エジプでで起こった政治的革命については触れられている。つまり、アメリカや南アフリカの作家にとって、日本のことは関心の範囲外なのだ。そうであれば、逆もまたしかり。日本人がパレスチナイスラエルの悲惨な状況について無関心であっても構わないだろう。世界は繋がっているかもしれないが、個人が抱えることのできる問題の量や大きさは限られている。

世界は絶えず驚きを放出しつづける。われわれは学びつづけるんだ。

ヒア・アンド・ナウ 往復書簡2008-2011

ヒア・アンド・ナウ 往復書簡2008-2011