サッカー日本代表、コートジボワール戦の敗因と日本的組織の業務管理

↓サッカー日本代表がコートジボワールに敗れた敗因を分析した中で最も納得した記事です。
詳細は読んでください。
サッカー日本代表の敗因はアドレナリン過剰? | 倉本圭造

端的に言えば「アドレナリン過剰」ということです。気合が入り過ぎ、悲壮感あり過ぎという感じ。リラックスが足りない。高まり過ぎて緊張感がどこかでガタッと落ちてしまい、立て続けに失点してしまう。
早く疲労してしまったのもアドレナリン過剰のせいかもしれません。
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photo by Ander Vaz

それは、私が繰り返し梅原大吾さんを引用して言っている「勝ち続ける」ためには、ワールドカップも特別な大会ではなく、いつもの試合として臨むメンタリティが必要なんじゃないか、という話を接続する気がしました。それでこうやってブログにするわけです。
ソチオリンピックの際にはこのような記事↓を書きました。
結果にこだわらないと結果がでる〜オリンピックの残酷さ - シリアルポップな日々
ワールドカップも4年に1度しかないので、同じような構造があると思います。個人的には、香川真司さんが、何年も前からワールドカップのことを口にしていたのが気になりました。要するに重きを置きすぎていたんじゃないかと。

倉本圭造さんの記事は、そこから発展してみんなの働き方の話にスライドします。
ここで野球をたとえにされて「打席」を一人一人にちゃんと用意する方向性という話題になります。
この「打席」を読んで、私は井原徹さんの業務管理における「ポジション制」のことを思い出しました。これも接続です。
放送大学のテキスト『大学マネジメント論』から引用してみます。

ポジション制とは一人一人が1つのポジション(職位)について、責任を果たしていく仕組みであり、各ポジションには、次のような説明がなされている。
Job Summary(職務概要)
Job Accountabilities(職務権限・責任概要)
Job Qualifications(職務要件-経験年数・学歴等)

井原さんは、日本の大学では、上記3つが管理されていないと述べられています。要するに、職員一人一人の仕事が明示されていない。業務がはっきりと線引きされていまい。
そのためにたとえば仕事の押し付け合いや、できる個人への業務の過度な集中などが発生してしまいます。結果、心の病に倒れる人もその業務内容の割には高い確率で発生している気がします。
要するに「打席」がはっきりしていない。いわゆる人事課は「人事管理」をするところであって、日本の大学は人事課が業務管理までやらされている。もっと言えば業務管理をせずに人事管理でなんとかしようとするから結局、数合わせにしかならない、というわけです。

「場づくり」的なマネジメントスタイルが浸透していくことによって、周囲の共感と承認、そしてマクロに見た経済合理性・戦略的合理性を同時に持った
「打席」
が、一人ひとりにちゃんと用意できるようになっていくわけです。

しかし、ここまで書いてみましたが、自分でもまだまだ自信がありません。まあ、これはブログであって論文ではありませんから、このまま記事にしてみようと思います。また、ギリシャ戦の前じゃないと意味が無い記事になりそうでもあります。

ちきりんさんも一時期ずっと梅原大吾さんのことを書かれていましたが、私も結構何回も書いていますね。そして、色んな他の話題と接続します。