橘いずみに支えてもらっていた1994年

ドラマ「最高の離婚」の瑛太って、、、ジュディマリの曲を馬鹿にしたそうですが*1、わかってないなあ、、、
さて、そういう私は1994年、橘いずみさんの「永遠のパズル」に底を支えてもらっていました。


大学二浪

熊本駅近くの代々木ゼミナールに通っていました。ママチャリで。Googleマップで調べてみたら、片道8.7kmもありました。調べたら、東京駅からお台場フジテレビまで8.3kmでした。
今から振り返ると1994年の1年がアキヅキダイスケを作ったといってもいい気がします。将来が見えなかった日々。とにかく毎日、雨が降っても代ゼミまで通っていました。
その頃、繰り返し聴いていたのが、「永遠のパズル」です。
橘いずみは、「女尾崎(豊)」とか言われていた気がします。でも、私には、ニルヴァーナカート・コバーンに近い方でした。
暗いんだけど、力強く心の底を支えてくれる音楽です。前向きにするポジティブな音楽ではありませんが、最後の底を踏み抜かずに済んだのは「永遠のパズル」のお陰のような気もします。おおげさでしょうか。
この1994年というのは、自分にとって重要な年です。孤独でした。浪人生活も二年目になると同級生もほとんどいなくなりまして。友達は、みんな浪人したんですが、一浪でそれぞれ京都大学東京工業大学熊本大学医学部などへ合格していきました。すごいよね。
それでも、今から振り返ると1994年を一人でじりじり過ごしたが自分にとって心の底を厚くしたような気がします。そこからの1995年大学デビューです。
ちょっと脱線しますが、高校の同級生のFacebookグループを覗くとちょっとやばいです。みんな輝いています。リア充にしか見えません。だから、心に余裕がある時だけ覗くようにしています。恐れ多くて投稿はできません。そういうわけで、同窓会には参加できませんが、みんなを見ていて少しずつ免疫というか、まあ自分の人生も悪くないと思えるようには鍛えられてきている気がします。
ふと橘いずみにつながった気がしました。自分のコンプレックスも表現の仕方で作品になるんですよね。作品化することで外部化され、非人情にそれを眺める余裕が生まれます。そうなればしめたものです。心の平穏が得られます。夏目漱石が『草枕』に書いていた芸術の効用がここにあります。他人にほめられなくたっていいんですよね。自分で勝手に作品にしてしまえばいいわけです。最近では、手軽な表現手段としてTwitterがあります。FacebookよりはTwitterの方が非人情に適したツールですね。


橘いずみ」でこのブログを検索かけたら、下記記事がありました。
僕を引きこもりからリア充へ導いてくれた2つのきっかけについて語ろう - シリアルポップな日々
併せて読んでもらえるとよくわかります。しかし、書いているように本当にラッキーでした。家族をはじめ、色んな人や力に感謝するしかありません。
他に「代ゼミ」で検索すると↓
孤独のレッスン - シリアルポップな日々
なぜ僕はひきこもりにならなかったのか? - シリアルポップな日々

ちなみに二浪している有名人としては、小泉純一郎小沢一郎大泉洋石塚英彦、ペ・ヨンンジュン、村上龍みうらじゅん竹中直人、マスオさん?などなど。

別に結論やライフハック的なコツもありませんが、これはこれで投稿しますね。

*1:自分では見ていなくて妻からの聞いた話です