やむにやまれぬ心の幸福論

迷うくらいなら転職しない方がいい、とライフネット生命岩瀬大輔さんが言っていたらしい。Twitterで見ました。全くその通りですね。

で、「やむにやまれぬ心」。
最近、この言葉がずっと頭にひっかかっています。


八重の桜の情熱

NHK大河ドラマ八重の桜』を見ると、幕末の情熱を感じます。「龍馬伝」の時も、「篤姫」でも感じました。若者のみならず、社会全体の情熱がすさまじい。日本全国情熱大陸
福翁自伝』を読んでもわかります。
福沢諭吉が緒方塾(適塾)にいた時、発熱して寝込んでいる時にちゃんとした枕を探したら、枕がない。そこでここ半年くらい布団で寝ていないことに気づいた。それくらい勉強していたんですね。
福沢諭吉「福翁自伝」を読んだよ - シリアルポップな日々:serialpop days

それくらいの情熱があれば、転職してもいいかもしれません。逆に言えば、迷って他人に相談するくらいなら転職はしない方がいいとも言えそうです。転職を他人に相談することは、背中を押してもらい、かつ、転職に失敗した際に背中を押した人の責任にしたいという弱い心の表れかもしれませんね。

大阪の笛吹おじさん

先日、大阪に出張に行きました。
梅田中津駅の近くの鉄道ガード下の交差点で、ホームレス風のおじさん、おじいさんかな?が一心不乱に横笛を吹いていました。
その光景と音色が印象深く残りました。そこにも「やむにやまれぬ心」を感じたからだと思います。
アートというのは、「やむにやまれぬ心」の発露ですよね。鹿児島にイカの絵ばかりを描き続けている女性がいます。
根本敬さんを思い出しました。「でも、やるんだよ!」という言葉ですね。
俵万智さんの移住だって「やむにやまれぬ心」によって動いているのでしょう。
「断固として事を行うとき、人はみな狂気」*1なんです。

新しい幸福論

というわけで、私は最近、日々、「やむにやまれぬ心」で生きています。仕事をして子育てをしています。それがアートなんだと思います。そして、後日振り返ると、それは美しい。ハッピーだったと思う。THE 虎舞竜だって振り返って何でも無いことが幸せだったと歌っています。農業労働だって舞踊まで高めなきゃいけんのです(宮沢賢治)。
ポイントは、幸福感は後から振り返って感じるものではないか、というところです。ここに私の新しい幸福論があります。
今、幸せになろう、とするとなかなか難しいです。であれば、今は「やむにやまれぬ心」にしたがって一生懸命、「あっちゃこっちゃ命がけ」*2でやればいいんです。
この幸福論については、たぶんfmjの方でも記事にします。

やむにやまれぬ蛇足

ああ、そうか桜には狂気が感じられますよねえ。坂口安吾の 『桜の森の満開の下』とか、それを下敷きにした野田秀樹さんの『贋作・桜の森の満開の下』。
夜長姫を演じた毬谷友子さんの狂気は美しかったですねえ。僕の中に刻み込まれている場面は、楽しそうに両手にもったぬいぐるみを力強くぶつけあうところ。

全然、どうでもいいことですが、『八重の桜』で吉田松蔭を演じた小栗旬さんは、「断固として」『変態仮面』を実写化したかったんでしょうね。まさしく「やむにやまれぬ心」のような気がして納得しました。

*1:『八重の桜』での吉田松陰の台詞

*2:坂口安吾の言葉をアレンジ