ガーデンズ文学カフェに初参加したよ〜夏目漱石「それから」

鹿児島市で昨年から不定期に開催されている読書イベント、ガーデンズ文学カフェのシーズン3、夏目漱石「それから」の回に参加してきました。初参加です。

  • 文学のリハビリとして
  • なぜ代助は三千代を平岡に譲ったのか?
  • 純愛小説として読んでも構わない
  • 恋は後から見いだされる
  • ロマンティックな恋愛を信じていない漱石

文学のリハビリとして

学生時代は漱石の「草枕」で卒業論文を書いて、それを発展させた修士論文を書いたのですが、今となっては恥ずかしい若書きです。研究者などになれるものかと就職をして長く文学の空気から離れていました。今回はリハビリのつもりで参加しました。
課題図書の「それから」を読むのがまずなかなか大変でした。頭が小説を読む体勢になっていないからでしょう。

なぜ代助は三千代を平岡に譲ったのか?

思いつきですが、三千代の兄が生きていた時は代助を含めた三名で安定した三角形を形作っていました。そのまま行けば兄は三千代を代助に「周旋」したはずです。ところが兄が亡くなった。代助は兄の地位に「代わり」についた。そして、空いた代助の場所に平岡が入ったわけです。そして兄の代わりに代助は三千代を平岡に「周旋」したわけです。

純愛小説として読んでも構わない

文学を研究しているとつい深読みがメインストリートになります。代助の三千代への愛は現在から遡って仮構されたものであるといった。
しかし、代助が三千代と結婚していたとして、三千代が幸福だったかはいささか怪しい気がします。同じように代助は遊んでいたでしょうし、三千代は体を壊していたかもしれません。

恋は後から見いだされる

私が割と信じているテーゼ?に、

  • 初恋は後から振り返って作られる

というものがあります。
代助の三千代への愛も現在から遡って作られたフィクションのような気がします。

ロマンティックな恋愛を信じていない漱石

「それから」の作中には、漱石の弟子である森田草平の小説「煤煙」に対する作中批評のような文章があります。
実際「煤煙」は「それから」より前に朝日新聞紙上で連載されていました。
平塚明子(のちの平塚らいてう)との心中未遂事件を大財にした小説です。
漱石は、この弟子と平塚明子の行動がよく理解できなかったのではないかと思います。そこで「それから」を「煤煙」に対する批評として書いたのではないでしょうか。