山本七平「「空気」の研究」を読んだ

日頃から古い体質の職場において「空気」の力を感じているのでおもしろく読んだ。

  • 「空気」、、、絶対の権威、驚くべき力

「せざるを得なかった」とは、「強制された」であって自らの意志ではない。そして彼を強制したものが真実に「空気」であるなら、空気の責任はだれも追及できないし、空気がどのような論理的過程をへてその結論に達したかは、探求の方法がない。

まさしく「空気」の実例がありました。

厚生労働省の前局長らが、自称・障害者団体のために証明書を偽造したとして逮捕された事件で、いっしょに逮捕された係長は、大阪地検特捜部の調べに対し「議員案件だと言われ、職場の雰囲気として証明書を出さざるをえない状況だった」などと供述していることが新たにわかりました。

NHKオンライン

悪いのは「職場の雰囲気」であって、自分でも上司でも無いような物言いを21世紀の今でも行うのが一般的な日本人なのである。戦後60年以上経って、未だに個人で責任を引き受ける胆力に欠ける国民性。

  • 「空気」、、、妖怪、「超能力」

従ってわれわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブルスタンダード)のもとに生きているわけである。

偉い人は普段は「空気的判断の基準」によって部下にグレーゾーンの仕事をさせ、それが後日問題となれば「論理的判断の基準」によって「そんなことは指示していない」と言い逃れるものである。

  • 「空気の支配」に対する「水を差す」という抵抗

現場の人間は組織の「空気」に抵抗するために「水の研究」をしておいた方がよさそうである。

  • 「水を差す自由」


「空気」が最も強いのは霞ヶ関かもしれないが、それを批判するマスコミにも別種の「空気」がある。
結果、責任をとらされるのは現場の人間が多いのだから、様々な手段を使って「空気」には抵抗した方がいいと思うよ、ホント。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))