ブログはそれだけで政治的になるか

百式の田口元さんなんかもそうだと思いますが、意識して政治的な話題をしないブロガーは多いと思います。
ここで言う「政治的」とは、言葉でもって他に働きかけ変化をもたらす姿勢という意味にしておきます。
さて、しかし、いわゆる政治を語らずとも、そのブログが政治的に機能することはあるでしょう。

二十世紀の偉大な作家ジャン・ジュネがかつて述べたように、自分の書いたものが社会のなかで活字になった瞬間、人は、政治的生活に参加したことになる。したがって、政治的になるのを好まないのなら、文章を書いたり、意見を述べたりしてはならないのである。

エドワード・W・サイード「知識人とは何か」からの引用です。

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

元々のジャン・ジュネの発言にたどり着いていませんから、文脈がわかりませんが、ブログを書いた時点で、それを誰かが読んでいれば、多かれ少なかれ言葉でもって他に影響を与えるので必然的に政治的になってしまうんじゃないでしょうか。
無垢のままではいられない、ということです。
自分にはそう言い聞かせてガンダムのこともモレスキンのことも、星野仙一のことも書いているわけですね。
もちろんどれもアマチュアとして書いています。

この時期のサイードは、現在のように膨大なアマチュアがブログを書いて発信する状況を想定していないと思います。
今、どう考えているでしょうか。

たとえば私がトラベラーズノートをほめる記事を書いて、誰かがその記事を読んでトラベラーズノートを買ったと、でも実際使ってみるとあまりよくなかった。
それは買った人の自己責任ではあるんでしょうが、私もその方にブログの記事で影響を与えたことは確かであり、、、
ちょっと考え過ぎかもしれませんが、その程度の覚悟というか、意識はもって書いています。

といっても、心構えは、

  • 自分に厳しく、他人に優しく

なので、私が見ているブロガーの方々はもっと無責任な感じで書いてもらった方が私はおもしろいんですが。