保坂和志「「三十歳までなんか生きるな」と思っていた」を読む三十三歳

「三十歳までなんか生きるな」と思っていた

「三十歳までなんか生きるな」と思っていた

タイトルからひっかかる。「三十歳までなんか生きるな」というのも日本語としてちょっと変な感じだが、それがリアルな感覚を引き出す。思考の段階では、文法なんてぐちゃぐちゃだから。
夢も文法がぐちゃぐちゃです。

▼保坂とは別の思考へ
保坂和志の本を読んでその内容をまとめることほど無意味な行為はなくて、大事なのは保坂の思考に触発されて別のことを考えることでしょう。

▼東京批判
たまたま私がローカルによって立つ、ということを考えている時に読んだ保坂和志に、東京批判のようなエッセイ(「大は小より脆弱である」)があったりして、、、やっぱりと思った。
保坂と私は同じことを考えてはいないだろう。
私は東京批判をするつもりはなく、東京を無視したいだけだ。保坂さんはどうだろう。

▼東京都の銀行
経営が悪化しているらしい東京都のある銀行への融資のニュースなんて全国ニュースでしないでいただきたい。一切、興味ありませんので。それは東京のローカルニュースにすぎない。

▼西郷さんが勝っていたら
保坂和志は、藤原泰衡が鎌倉側に寝返ったことに対して半ば本気で怒っていたが、私は西南戦争西郷隆盛が勝っていたら日本はおもしろかっただろうか、と考えてしまう。
征韓論という言葉があるが、これは教科書で言葉を知っているだけで内実はよくわからない。本を書いたわけでもない西郷の考えていたことはもはやよくわからなくて、複数の歴史学者などの解釈しかない。さて、、、それ以前、薩摩は単独で英国と戦争をした。当時、薩摩という「国家」はそれだけの気概をもっていたのだろう。で、道州制の議論にそれだけの気概をもって参加している政治家や経団連会長が果たしているだろうか。
隣国と戦争になれば九州は占領される可能性が高い。さて、村上龍「半島を出よ」かな?を読んでみるか。
そこで私は何度も吉田健一を引っ張り出し、戦争に反対するために生活を美しくし、それに執着するのだが、、、甥が麻生太郎か。

篤姫
ろくに見てもいない大河ドラマについて乱暴に言えば、あのドラマを見ても薩摩はやっぱり日本にしか見えない。当時、たとえば江戸から薩摩を見れば、ほとんど「外国」だったんじゃないだろうか。それをNHK大河ドラマは全て「日本」に回収してしまっていはしないか、と書いてみた。
かといって当時の薩摩方言を役者にしゃべらせて字幕をつける、とかそんな話ではないだろう。